旅人のスイミー
次のウラナイトナカイは7月22日月曜日、この日がラストです。
◎11:00-21:00みかみまき通常鑑定
※詳しいメニューはこちらをどうぞ⇒★
ご予約状況(すいません、ほぼ満席です)
・11時~ ・12時~ ・12時半~ ・13時~ ・14時~ ・15時~17時 ・17時~ ・18時~ ・19時~21時
※お申込み:お待たせしたりするのは申し訳ないので、お電話でご連絡いただくか、メールにてcaribou.lynxhare@@gmail.com (@を1つ抜いてご連絡ください) ご連絡いただければ幸いです。
・石セット持参している日ですのでどのメニューでも大丈夫な日です。
※8月以降は当分リクエストいただいてココチでうけたまわるか、どこかカフェなどで承るのがベースになる鑑定スタイルになると思います。阿佐ヶ谷が便利な方ぜひこの機会にどうぞ。三上牧スケジュールはこちら
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最近、ずっと忘れていた感覚。
集団とは何か共通概念を持って生きる星雲みたいなものだ。
一人でもリズムがおかしいものがいては調子が狂う。
共通概念を持たないものは旅人だ、スナフキンみたいなものだ。
あちこちの村を渡り歩く。滞在しすぎると調和が乱れてくる。
長すぎても短すぎてもいけない。
旅人は、自分の星を生きる。
自分が独立した点になる。
そして点をつないでコンステレーションする。
それは集団とは違い、支え合わない、
自分の役割を全うしている人が調律するように1つを成すだけ。
自分のパートをしっかりと自分が担当して
他人と共闘することで、自分ひとりで成しえないことをする。
その”一人で成しえないことを成したい”は我欲だ、そこに正義はない。
スイミーだって大きな魚に食べられたくなかった、それだけ。
それをうっかり自分はみんなのためになんて思っていると
期待を裏切られるのだ。みんなの役に立っても所属できるとは限らない。
通りすがりの旅人は解決すると村を出ていくのだ。
それが旅人なんだよなあ。
でも点として生きるのは力がいる。
点として生きていると力をつけてしまう。
他人が要らなくなっていく。
スイミーは生まれつき黒く生まれて、
群れからけり出されつづけた。
きっと違う種類のサカナだよ、
他で仲間が見つかるといいねって。
最初は自分が皆と違う黒いサカナという意識がなくて、
すぐけり出されるから点になるしかなかった
そして、スイミーはみんなと共闘して
大きな魚の目の役を担ったになったあと
「ありがとう助かったよー!」と感謝されるけど、
「じゃあ、また!」と群れは泳ぎ去るのだろう。
でもまた目の役が回ってくるまでは泳ぎ続けるんだろうな。
それは不幸じゃなくて、特別という生き方なんだろうね。
見た目が黒いという、特別なギフトという呪い。
ちょっと見た目が変わっているのでたまに旅人として滞在できる。
所属できない程度だ。石を投げられたりはしない。
「よその人」とどこでも思われるだけ。たいした能力ではない。
口から火を噴けたりする怪物なわけではない。
特別度が高ければ高いほど、孤独も深いのだろう。
人と違うとはそういう孤独との戦いなのだろう。
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これは7月22日11時半くらいに思いついた「詩」のようなもの。
時々こういうのがポップアップしてくる。それをメモっておく。
これを全部書き留めた時に、
「わたしはそんな『スイミーたち』の星を読んでいきたいな。」
と思った。
居場所を間違えたというのと、
人と居場所を共有できない
というのは、同じようでいて全然違う気がするな。