ほしといしと占いのみかみまきのサイト

あおいとりプロジェクト

今回の新月がn水星の上で起こっているのでメモ。

2015年10月13日|astrology, やまねこクロニクル

新月に思うことをメモ的に書いておきます。
今回の天秤新月の度数は20度、これはわたしの水星の度数という勝手に記念で
ちょっと自分の水星のことを書きたいと思います。主観的メモです。
はっきり言って、ただの自分的な関連性から派生です。

サビアンシンボルというのがあるのですけど
新月の度数、

天秤の20度は
『自分の務めをとり行うラビ』
自己流の行き方で、対人関係などに失敗し、傷ついた人は、この問題をすべて解決するために、伝統的な生き方とか、また古い宗教などに、心の安定を求めるようになる。偉大な宗教家が、その前半生で、大きく傷ついた経歴をもっているように、この度数は、苦い体験が前提にある。個人は、集団との関係や、また潜在意識との関係を、もっとも安全に回復させるには、やはり古来から続いた伝統的な道に依存することが賢明だと気がつく。そこには非常に多くの人が実践し、確かめてきた膨大なマニュアルがあるからだ。自己流の知識ではなく、伝統の知恵を借りること。古来の宗教的な方法に回帰する。他の個人が自分と同じ失敗をしないように、アドバイスし、指導すること。多くの人に信頼される立場。(上記サイトから引用)

です。これが私の水星の度数。

 

そして私が思う「てんびん座というサインの話」から一応します。

わたしのブログではしつこいぐらいしているのですが
(なんせ自分の太陽のサインなので研究対象というか意識が行きやすい)
とりあえず、書いておきます。

 

牡羊サインをスタート地点と仮定して
天秤というサインの位置を考えるとき、
その役割はやはり、「他人という自分ではない存在へ向けられる意識」だと思うのです。
意識はいったん他人に向けられ、ブーメランのようにその刺激が自分を再確認する。

関係性というようなつながりを持つ言葉をよくあてられていますが、
天秤は深入りできないので、一期一会的です。環境的縛りがないと一緒にいられません。
パートナーというものに意識が行きますがまだ洗練されていないので、
上手に見つけられるというわけではない気がします。
パートナーについて考える意識であるとは思います。

そういう意味では結婚が天秤サインの象徴というのは、やや時代錯誤的だと思いますね。
昔は他人様に興味を向ける=結婚だったかもしれませんが、
今はどちらかというと、お付き合いするとか、さしでお会いするという感じに思います。
結婚というtie the knotな感じは、現代において蠍サインに移管したのではないでしょうか。
契約は蠍に関係すると思います。

 

なので、私的な理解は、天秤サイン他人に意識が向き、理解しようとするサインではないかと。
自分じゃない存在を理解しようとする動きかなと。

 

探りを入れるサインでもあるので、
天秤の命綱として、調和を乱さない「”普通の人”という仮面をつける」感じ。
てんびん座の代名詞的だと思います。

有象無象の平均的にバランスよく生きる領域が天秤。
平和を愛しています。抜きんでていないこと。出る杭にならないこと。
マジョリティというか、どちから優勢である方を選びたがりますね。
水面下では、自分の平穏を守るために
恐ろしく画策しているかもしれませんが、基本的に、争いが嫌い。
攻撃しているとしたら、カウンターアタックで正当防衛なのです。

 

てんびんのわたしはもめること=めんどくさいと思うので、
あー、私はいない人間だと思ってくださいと結構な確率で思っています。
褒められると反射的に中和するように謙遜してしまう。

 

他人との距離感や付き合い方をそこそこにし、状況によって選び、
「雨にも負けず」の、
ホメラレモセズ クニモサレズというフレーズがぴったり来ます、わたしは。

 

つらつらとそんなことを思う天秤の新月の今日、
昨日たくさんの人にお会いした時にエネルギーをつかったのか
午前中はのんびり過ごし(脳がフル回転しすぎてショートしているので)
家族に早く消せと言われてる、先日録画した「思い出のマーニー」を見ました。

わたしは基本的にオリジナルの話をいじった創作物はあまり好きではないです。
でも、このマーニーは意表を突かれて、すごく面白かった。
ジブリだけどジブリじゃないジブリ。

特に、一番最初に唱えられる
「この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間。 」
という印象的でした。

 

これ、わたしもこの人と同じくらいの年の時に感じたなあと思い出しました。
内側に入りたくても、入れないはじき戻されるという経験良くしました。
占星術の概念を通して考えてみると、システムを正常に効率よく動かすには
環境からの必要な反応だったのかもなあと思います。

 

マーニーの主人公のアンナは12歳くらい。
水星=水星期5歳から15歳くらいの時期です。
受動的な生き方をベースに能動的に生きる方向性を学ぶ時期。
生きるスキルを学ぶ時期です。
この食物連鎖から抜けている人間はその社会で生きることがサバイバル。
よって、水星は基本的に社会で生きるスキルだと思います。
この生きることという定義は時代ごとに違います。
社会を構成するにあたって、昔は人間の価値を示していた仕事の部分が、
今では文明(機械や知識の蓄積)が肩代わりしているので
生きるスキルというのは主に、「うまく立ち回る」スキルじゃないかと思っています。

 
主に・・・
コミュニケーション能力(環境にアクセスしていく力=双子)
対応能力(降りかかった火の粉を払う力=乙女)

 

水星は基本的な対外的な事柄を一手に受ける天体。
太陽や月(ライツという人生の基本柱)のパシリです。
第一線で戦う時に一番最初に出てくるところ。
ペルソナの出現箇所といってもいいくらいです。
(出現原因元はそれぞれありますが、吹き出す口ですね)

 

そして、社会とはシステム・枠なので基本的には土星。
だから、水星に土星以遠の星がかかわっていると、まあ小・中学校は苦労します。
先生の予測範囲外のことになりやすいので。
本人も使いこなせるわけないから、自動かつ無意識発動しますし。

 

わたしはこの土星以遠=トランスサタニアンの天王星が水星の横にいます。
ですから、水星の時期、とても苦労しました。
(もしくは担任の先生や母親が苦労しました、同意語です)

 

これ、マーニーの
「この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間。 」
というのと似ているなあと思ったのですよねえ。

輪の内側というのは、土星の内側。
システム構造の中。トラサタは土星以遠という意味の
トランスサタニアンの略です。

わたしの言動はたぶん通常の人からすると、異邦人的です。
こういうトラサタがたくさんある人のそばにいるって疲れますから、
わたしの人間関係はうまく続かないんじゃないかなと思うのです。

同級生もきっとわたしの予測のつかない言動にぎょっとしたでしょう
別に目立ちたいわけではないのです、目立たない行動ができないのです。
システムからはみ出していますから。天王星は土星の外なのです。
システムの中にきちんと生きられる人にとって、天王星はびっくりぽんです。

 

わたし本人は、加減がわからない。
変人だけど凡人のふりができるのなら素敵なんですが、
凡人なのに、変人の様にふるまってしまうという悲劇です。
わたしは本当にこれを中和するのに時間がかかりました。
いまだに、「うわあ、やりすぎた、みんなひいてるぅぅぅぅ!」というときあります。
気を抜くと、天王星が自動&無意識発動します(つまり言動が壊れていて、伝わりにくい)

 

天王星の独立とか、自立しているというのはこういう紆余曲折の上だと思うのです。
最初から生まれつき自動的にできてるわけでもないと思います。
あきらめの境地の結果じゃないかと。

わたしは月がソフトアスペクトしかないのんきな凡人なのです。地味なんです。
大それたことを考えられない小心者です。しかも月の支配星は水星。
水星のサインは天秤。目立ちたくありませんが、となりのびっくりぽんが悪さする。
さらにアセンダントの上にある土星のビンタが飛んできますし。
環境からの反応はすごくシビアだった気がしますね。

 

土星というマニュアルやルール、システムの外のことを考えて行動できるというのは
根本である土星を知ってからということになりますね。
守破離って言葉に近いと思います。

天王星がうまく使えるようになってきたのは、
たぶん、1回目のサターンリターンを超えた29歳あたりからです。
それまでは、めちゃくちゃで、大変だったです。まわりもわたしも。
知識や経験が足りなくて、よくわかんないで、振り回していたというのが正しいかも。
諸刃の剣って言葉ありますが、天王星って、なんかそういう感じします。

 

他のトラサタだと、
海王星は、たぶんスルーする力、没頭する力。
テンポはどちらかというとスローです。
カメさんは長生きですが遅いというのと同じじゃないかと。
体験が濃く深い。

水星と海王星がスクエアの父の口癖が
「聞こえなかった、聞いたけど忘れた、聞く気がなかった」
だったのですけど、こういう外からの干渉を薄く感じる
反応が鈍い、自分の世界に浸かっている感じかと、笑。

 

冥王星と水星ってなんでしょうねえ。
この時期に
クリティカルな経験を負いトラウマになったり、
その後の人生を変えるような経験を負うというのも入りそうです。
それがゆえに人を変えるような重さを持った発言ができる人になる。
カリスマ性を帯びた言動でしょうか。

普段にこにこして、おとなしく受け身ですが
いざとなると恐ろしく鋭く重い一撃をくらわしてくる
波の激しいタイプとかもあるかもしれません。
オンオフというか、両極端なんじゃないでしょうか。
とても大きな欠点と才能の同居というか。
みんなにあがめられることと、才能は別。
崇められる、憧れられるというのは、投影であるということを言うのは
前から思っていることでしたが、改めてアーカイブから引っ張り出してきました。

 
ちなみに、上記で言及した思い出のマーニーの
主人公アンナさんは、この冥王星がどっかに深くかかわってそうな印象です。
月とか、水星にトラサタが、特に冥王星がかかわっていても
不思議じゃないなーと思う印象があります。
原作の「When Marnie Was There」の作者Joan G. Robinsonの
誕生日がわかりませんでした・・・1910年生まれってだけ、残念。

 

だいぶ、話がずれたんですが
「この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間。 」
という言葉を聞いたとき、

 

変人に育てられた凡人
凡人に育てられた変人
という言葉が浮かびました。

 

前者は、周りから変人というラベルを勝手に張られ違和感を感じ、
後者は、自分が自発的に周りとの違和感を感じ同じに扱われることを嫌がる感じ
でしょうかね?

とにかく、マーニー見ていて思い浮かんだ言葉です。
変人用の環境で育った凡人
凡人用の環境で育った変人
ともいえるかな。
とにかくわたしは完全に変人風に見える凡人だなと思います。

 

だいぶ前にどっかで書いたと思いますが、もう一度。

とても格式高いどこかの雑誌の編集者の方が(名前失念・・・)、
『自分の方向性に悩む、自分がどうしたいか悩むときに基準とすべきことは、
自分の葬式でみんなにどういう人だったと思われたいか?ということだ。』
という記事を書いてたという話を友達から聞いて、なるほどーと思ったんですね。

 

で、わたしは、何かなあと考えたとき、
みんな私を忘れて、ひっそりと消えたいなあと思いました。
あまり人の記憶に残りたくないと思ったのです。
ということは、雨にも負けずを地で行かなくてはいけません、笑。

あと、わたしの記憶力の悪さはこういうところからきているのかもなあと思いました。
覚えてないということは、わたしなりの人への気遣い。
どんなに失敗したとしても、私はそれをリセットしてあなたに対峙することができますよ!
という、禍根消去システムなのかもなと思いました。
そして、みんな大して変わらないから~と思ってもいます。


Profile

みかみまきプロフィール写真
みかみ まき

西洋占星術師&アクセサリーデザイナー、水晶占い師占星術・タロットをまついなつき氏に師事、占星術と水晶透視を松村潔氏に師事しております。詳しいプロフィール

noteつかってます