ヘクトパスカルの、パスカルさん
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ハイデガーの気づき:【プラトンのイデア】
プラトンが考えたイデア論は、イデアという言葉自体プラトンの造語というのが
今日の収穫でした。そして、「その言葉を生み出した人がはっきりしている」ことが、
この長い歴史が経っても風化しないのがすごいですよねえ。
イデアというのは、数学的な法則性の様にほぼ永遠的に変わることのない事実。
宇宙的に決まっている法則のような。神々の設定した自然の摂理的というか。
この真理についての私のイメージは、
真理は隠されているものではなくいつもそこにあるが
見る目(認識領域)に鱗のようなカバーが張り付いているように、心理的に見えない要因がある。
どれだけの情報が扱えるかで見える真理が違うのではなかろうかと、
受け止められる、理解して事象として受け止めて存在を認められることが大事と、
哲学の授業の最中に思いました。
理解できる機能なければ、存在に気がつけない。
ある知識を理解するためにはその素地になる知識がないと理解できない。
ピラミッドみたいに積み上げていくもの。
階層的な感じですね。たぶん、段階が上がるとかレベルが上がるというのは、
こういう感覚なんではないでしょうか。
今回は、哲学の授業でパスカルでした。
パスカルって、どうしても気圧のヘクトパスカルで、物理というか数学者のイメージ在ります。
なんと、若いころから恐ろしいほどの天才ぶりを発揮してですね、30歳ぐらいまで
その才能をバリバリびりびり世の中にとどろかせることとなります。
昔は、けた違いの天才っていたのですねえと、先生が惚れ惚れと説明していたのが印象的。
わたしが知識が薄いので、パステルの天才ぶりは真に理解できていないので、
先生が言っていた情報として、わたしの頭の中で処理されるのだろうなあと思います。対比的に。
12時計算にしていますんで、
もしかしたら、牡羊ですが、わたしは魚座に一票。
星のルーラーを追うとなんというか、どっぷりつかり込みそうなところ、
没頭していくところ、境界線なくいろんな技術をつなぎ合わせるようなところ、
何より後半の人生、宗教に没頭するところが、そういう妄想を引き起こします。
どちらにせよ、太陽と月はスクエアという角度ですね。
小さいころからアカデミーに出入りし、頭の良い人と過ごしているということも、
そう思わせる何かがありますね。でも牡羊でもいい気もします。
新しいものを発見していく人なので。そうするとほぼ真夜中生まれで北半球過多で
没頭する人をさらに強調する気もします。
哲学の先生曰く、アインシュタインの上を行くということで。
アインシュタインも、自分を天才じゃないといっていましたよね。
パスカルの有名な言葉は、数学的なものの他に、
パンセというものの中の有名な言葉は
「人間は考える葦である」というやつですね。
(葦は弱い存在の例えだそうです、なるほど!)
このパンセって実は本ではなくて、メモ、草稿案みたいなもの。
本当は本を書こうとして、39歳で亡くなってしまったので。
パンセはそのメモ書きをまとめたものが出回っています。
内容としては、キリスト教っていい宗教だよ!という内容。
パスカルが生まれたこの時代は、宗教改革の後で、
人々が信仰心に疑念を抱き、不信感が募りつつある時代。
数学とはある意味真実という変わることのない法則性を美しく表現しているものでありますから、
もともと、哲学的な素養というか(哲学というのは言葉ではなく、考え方なので)
パスカルの文というのは美しく含蓄を含んでいるように思います。
何かに書いてあって「おおっ!」と思いましたが、
名言を前後の文なくしてピックアップし、そこだけの意味でいい言葉だあと思っても
意味がないというか哲学じゃないなあと思います。
それただの国語。というか文学でしょうね。
占星術もそういうところあって、ホロスコープはホロ=時間、スコープ=観察するとなるように
ほぼ時計です。時計の概念、季節、暦の概念です。
人間に張り付いた暦の概念だと思うのですよねえ。
だから、年齢によってやることが決められていてだいたい
こういうことをこの時期にやっときなさいよというスケジュール表的。
一人ひとり、オリジナルの暦があり、その人の時期があり、その人の法則性がある。
だから、社会性で社会の平均的な善と、社会の示す悪(悪というよりNot good?)と、
個人的な法則性は必ずしも一致するものでもないし。
そういう時迷うから、社会的にこういうのが主流で、私はこういう感じと
わかっておくということで、回避できたり、対応できたりすることが
増えるんじゃないかなというのが、まあ、占いもその一つなんだと思います。
この間の授業ですごく面白かったこと。
ギリシャの7賢人(タレスとか)でしたっけ、その人たちが
デルフォイの神殿に奉納した言葉「汝、己を知れ」という言葉。
結局、哲学ってこれに尽きるということ。
自分を知るというのは、本当に困難で、特に現代の世の中は、
本来性を隠したり、補てんしたりすることができるものが多すぎて、
自分と向き合うということが難しいのだと思います。
自分自身という等身大をまじまじと見つめ、気が付き理解していくことこそ、
哲学なんじゃないかなあと思います。
そしてそれが揺るいでも立ち直りやすい幸せを感じる力につながるんではないでしょうか。
でも、まあ、人の心まで揺るがすようなすごい書物を書く人はみんな自分を追い込みすぎと思いますね。
それくらい、自分の真実を見るというのは過酷なんだなと思います。
脳科学でも、人は記憶を操作するということ、よく言われていますし。
パンセの一文で哲学の先生がプリントにピックアップしていることで耳が痛いけど膝を打った興味深い節。
◎悲惨
我々の飛散を慰めてくれる唯一のものは、気晴らしである。とはいえ、それこそ、我々のうちで最大の悲惨である。なぜなら我々に自分自死のことを考えないようにさせ、我々を知らず知らずのうちにほろびに至らせるものは主としてそれだからだ。気晴らしがなかったら、我々は倦怠に陥ったことだろう。そして倦怠は、我々を促して、そこから逃れる出るいっそう確かな手段を求めさせただろう。けれども気晴らしは我々を楽しませ、知らず知らずのうちに我々をしに至らせる。(414)
これ、グランドトラインを思い出させます。
現代において、トラインのような吉角とされていたイージーアスペクトは
凶角、安きに流れ、技術を磨くチャンスを避けて通ってしまう。
そのでかいトラインがトランジットによって、調和を崩されるまで避け続けるので
いざという時に、向かいたくても経験値も低く、根性もないという大変な結果になりがち。
ご褒美癖って言うのでしょうかね、気晴らしって。自己憐憫というか。
耳が痛くて、反省しきりだなと思います。
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このパンセを書くきっかけとなったジャンセニズムというのもすごく面白い内容で
引き込まれました。いわゆる、使命というものについて。
ルターは、神の恩寵なくして意義の仕事は存在しえない、
神のご意思のもとに使命、天命があり、そこに尽くせることは幸せ的なことを言っていて、
神の意図に対する奴隷的意識みたいな考え方をしていたそうなのですが、
自由意志の介在の仕方みたいなところのバランスを一生懸命考えているその攻防が興味深いです。
絶対者の神は愛をもってすべての人に等しく接するので、
支配しコントロールすることはないというのがジャンセン(ヤンセン)の考え方で、
全面的に考えずに、没頭するというのは異端という考えに至っているそうです。
そして、そのジャンセンに感化されて、パンセ執筆にいたるのがパスカルさんです。