ブリューゲル「バベルの塔」展
次のみかみの鑑定の日は・・・
★5月15日(月)11時~21時 通常鑑定
・場所は ウラナイトナカイ!
※11時~12時、13時~14時にご予約いただいております。
★あおいとりアクセサリー、新商品アップしました。
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ブリューゲルの「バベルの塔」展に行ってきました。
チラシはこちら⇒★ ※PDFで見られます。
朝の上野駅は、シニアがキャッキャウフフな感じでデートしている雰囲気でした。夫婦と思いきや、苗字で呼び合ってたり。楽しそうだなーしし座冥王星の老後。そんなシニアが1000円の入場料で大挙して展示を見に来るので入場者数はうなぎのぼりでも、収入は低そうですね。シニアは65歳以上で1000円ですが、わたくし大人なので1600円です、笑。
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さてさて、上野の都美術館でやっているブリューゲル「バベル展」やっといってきました。GWはめちゃ込みなので敬遠して、平日の昼間に予定をねじ込み。シニアが主なお客様なのでたぶんですね、お昼ご飯の時間は割と空いていると思います。わたしはわりとゆっくり見られました。それでも話題性がある展示ですから、それなりにはいますね。
展示は工夫を凝らしたブリューゲルを理解するための親切な道案内付き。すごくシンプルで、基本的には多分音声を借りたほうがわかりやすい作りになっていますね。
LBFという地下の展示(オランダの宗教画)から始まり、
1Fのボス(本人は2枚)、模写が続き(ここでしっかり見ておくとあとのブリューゲルの展示がわかりやすい)、
ブリューゲルの版画(ボスにどれだけ影響受けてきたかというのがわかる展示)。
2Fはバベルの説明の展示とブリューゲルのバベルの絵のみと、説明の映像があります。
1つ面白かったのが
「バベルの塔」 1433年頃(作者不詳)「ベッドフォード公の時祷書」というのがブリューゲルのバベルの塔との構図の差で引用されていたのですが、この絵、タロットのタワーに似ているなーと。色合いとかね。どっちが先なのかな。タワーって、確かバベルの塔からきているという俗説もありましたよね。
こうやっていろいろなものをパネルに引用して、学芸員さんの工夫で実物がなくても楽しめる展示になっています。なんでしょうね、最近は図録を読まなくてもお手軽に画家や時代をわかるようなつくりになっているのでしょうかね。すごく親切でわかりやすいです。図録はどこに売っているかわからなかったくらい。そして、明らかにシュールなかわいらしい見た目のブリューゲルの描いたキャラをグッズにしてそれで売り上げようとしているところありました。
わたしもまんまとキーフォルダー買いましたよ。悩んでこれ。
Patience(忍耐)から抜き取られたキャラ
そして思わずガチャガチャにトライ。300円
なんとこれまた忍耐からのキャラ。
よくわからないですけど、わたしは二つ之を持つほど「忍耐」の才能はなさそうだな、笑。
忍耐という絵は、7つの大罪に対する、7つの美徳がテーマで、忍耐している人の絵なのですが、なんというか十字架をもって口が開いてる状態でぼーっとしているのです。これ美徳か?と一瞬思って印象的でした。
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今回、ブリューゲルより楽しみにしていたのはボスでした。なんか私が小さいころはボッシュと発音されていた気がいます。彼の絵は割と好きで、プラド美術館で快楽の園みましたね。ほかにも結構あって、何枚かあるなという記憶があります。今Wikipediaを見たらスペインのフェリペ2世が熱心なコレクターだったのですね。ほほう。今回は「放浪人」という絵と、「クリストフォロス」の2枚でしたね。あとは模写。コックという人の絵(模写、もしくは模倣だったかな)が私は好みでした。結構いろんな人が熱心にこの風刺画のような、漫画の走りみたいな作風をまねしたみたいですね。そういうのはあまりウィキには乗っていないかも。
ヒエロニムス・ボスは1450年頃生まれ(没1516年8月9日)は、ルネサンス期のネーデルラント(フランドル)の画家。
誕生日がわからないどころか、私生活もあまり記録がないそうでよくはわかりませんでした。surreal iconographyと表現されていて、超現実主義の図像(イコン)画家。芸術家の家系(父が師匠、兄弟も画家)で、裕福な家の娘と結婚し、あまり生活に困ることもなく、熱心に教会活動を熱心にし、教会の組合のために絵も描いているのですがその辺の作品は残っていない模様。宗教が人生に重きを置いてとてもクリスチャンらしい生き方をしていたみたいですね。brotherhoodという教会の組合を大事にしていたとか。
余談ですが・・・
イタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの『神曲』(13世紀から14世紀)が書かれてから、階層化された地獄という概念はいろいろな発想をもたらしたようで、あちこちに地獄のテーマが出てきますよね。宗教画もなかなか面白い感じになってきます。そして、印刷技術(版画)で庶民の目にする機会も増え、寓話的な描写が増えてくるから、視覚効果に工夫が出てきている気がして、見ていて楽しい。説明や時代背景などがなくてもわかりやすい絵になってきます。
今回の展示の入り口そば(LBF)はそのオランダあたりの地域の宗教画や彫刻がたくさんあって、わたしとしてはそっちの方が面白かったです。あと他の画家の宗教画も並べられていて、気が付いたことは国によって背景や設定がいろいろ違うのと(例えばキリストはナザレで生まれているので本来砂漠地域のはずなのですが、聖母子像の背景にとんがり屋根の家が描かれていて、こういう屋根は雪国の物だよねとか思ったり)、聖人の名前が聞いたことないものだったり(たぶんオランダあたりの地域のゆかりの聖人、わたしが知っているのはイギリスかイタリアくらいなので)
クリストフォロスとは巨人でキリストであるイエスが子供のころ、川を渡るときに肩に乗せて渡った人だと書いてありました。あれ、イエス水の上歩けなかったっけ?と思いましたが子どもだからいろいろ発揮してないのかもしれないですね、能力。イエスは偉大過ぎて、巨人は重く威圧感を感じたという。クリストフォロスとはキリストを運ぶ人って意味だそうです。ゆえに旅の守護聖人。
そもそも、「イコン」などの図相は、字の読めない庶民に、キリスト教のありがたみをわかってもらうのが目的なので、どれがどの聖人かわかるようにそれぞれ特徴があるそうです。例えば、今回の展示の中でいえば「聖カタリナ」は剣を持っているとか。そうするとあこれは剣を持っているから聖カタリナだ!とわかるという風になっているのです、図像学。これ全地域の全部知ってたらすごい、folklore、伝承みたいなものですね。土着感を感じます。
わたしが持っている本で図像がくわしく載ってるいるのはこれ。ちょっと専門書っぽくて難しいですけど、なかなか面白い本です。
あと、ピーテル・ブリューゲル。これまた誕生日不明。
『ブリューゲルの生涯に関する資料は極めて少なく、ほとんど1604年のカレル・ヴァン・マンデルによる伝記しかない。しかし、この伝記は逸話的な要素が多く、必ずしも正確とはいえない。また、ブリューゲル自身は何も文章を残していない。』とウィキペディアに載っていました。
オウ、残念・・・年代からして宗教改革真っただ中みたいなので、いろいろ不都合がありじじつをのこせなかったのかもしれないですねー
『マンデルによれば、ブリューゲルは、死の直前、妻に、「余りに直截的・風刺的な」素描を焼き捨てさせたという。マンデルは、「後悔の念からか、妻が迫害されたり何らかの形で責任を問われたりすることを恐れたためか」と記している。』とさらに載っていました。ミステリアスです。
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◆そのほか、展示を見ていて2つ興味があったので個別に調べましたのでそれ載せておきます(あ、先に生まれた順に並べています)
【四大ラテン教父(主にラテン語で著述を行った神学者(教父))】を題材にしていた彫刻があって興味を惹かれました。四大教父って誰だべ?と思い調べてみました。
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〇聖アンブロシウス(Ambrosius, 340年? – 397年4月4日)
4世紀のミラノの司教(主教)
ウィキとか読んでいて面白いのは司祭になる時になんとキリスト教徒ではないのにもかかわらず、司祭に推薦され逃げまくったということ。熱心に頼まれて折れたというエピソード。
功績としては、ギリシャ語に精通していたアンブロジウスは、バシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオスなど東方の教父たちの思想を学んで、これを西方に伝え、西方教会の神学の水準を高めた。アウグスティヌスに影響を与えたことでも有名。
彼に最初に起きた奇蹟として、「アンブロシウスがまだ幼児の頃、彼が口を開けて眠っていると数匹の蜂が彼の舌の上に止まり、彼を刺す代わりにはちみつを垂らした」
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〇聖アウグスティヌス(Aurelius Augustinus、354年11月13日 – 430年8月28日)
古代キリスト教の神学者、哲学者、説教者。
キリスト教に回心する前は、一時期(373年-382年)、善悪二元論のマニ教を信奉していたが、キケロの『ホルテンシウス』を読み哲学に関心をもち、マニ教と距離をおくようになる。その後ネオプラトニズム(新プラトン主義)を知り、ますますマニ教に幻滅を感じた。
ミラノの司教アンブロジウスおよび母モニカの影響によって、387年に息子アデオダトゥスとともに洗礼を受け、キリスト教徒となった。
天地創造以来の「神の国」と「地の国」の二つの国の歴史による普遍史(救済史)の大著『神の国』によって応えた。この著作はアウグスティヌスの後期を代表する著作となる。
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〇聖ヒエロニムス(Eusebius Sophronius Hieronymus, 347年頃 – 420年9月30日)
キリスト教の聖職者・神学者。聖書のラテン語訳であるウルガータ訳の翻訳者。
両親はキリスト教徒だったが、彼自身はキリスト教に興味がなく、ローマに留学したのも修辞学と哲学の勉強のためであった。ギリシア語を習得し、ガリアやアナトリア半島をめぐって古典の研究に没頭したが、373年ごろアンティオキアで重病にかかり、神学の研究に生涯をささげることを決意、シリアの砂漠で隠遁生活を送ってヘブライ語を学んだ。
この聖書こそが中世から20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリックのスタンダードであり続けた「ウルガータ」訳聖書。ウルガータ(Vulgata)はラテン語で「公布されたもの」という意味
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〇聖グレゴリウス(Gregorius I, 540年? – 604年3月12日)
ローマ教皇(在位:590年9月3日 – 604年3月12日)。問答者グレゴリウス(Dialogos Gregorios)、大聖グレゴリウスとも呼ばれる。
グレゴリウスはローマの貴族の家庭で生まれ、政治家としてのキャリアを積んでいたが、思うところがあって修道院に入り、590年に教皇に選ばれた。
ざっくりいうと教会と政治のバランスや権力と教会のかかわり方に対し尽力していた人だったみたいですね。皇帝は神由来の権力であるということを認めさせたみたいですね。ちょっと政治がかかわってくると政治的背景がわからないのであれですが、基本的に教会の権力を獲得した、もしくは確立した人なんじゃないでしょうかね。
わたしが気になるのは「グレゴリオ聖歌の名は彼に由来しており、伝承では彼自身多くの聖歌を作曲したとされている。」ということですね。グレゴリオ暦はその暦ができた頃の教皇の名前っぽいので、このグレゴリウス1世とは関係ないみたいです。
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(あ、すべてWikipediaから抜粋してきました)
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もう一つ、他に気になったのは、会場に飾ってあった「聖カテリナ」の絵のデコの広さですね。デコの広い女性は気が強いという人相があった気がしましたかそれがここで表現されていたらすごいなとふと。
あと、カテリナの象徴としてこの方必ず刀を持っているという設定でした。そしてこの人の有名な逸話としては、50人のターバンを巻いた異教徒の学者と哲学答弁をして、見事50人全員論破し、キリスト教に改宗させたということ。そしてそこにいたローマ皇帝マクセンティウスが求婚したのに断ったので、それで殉教したという人ですね。「アレクサンドリアのカタリナ (ギリシア語: ἡ Ἁγία Αἰκατερίνη ἡ Μεγαλομάρτυς, ラテン語: Sancta Catharina Alexandrina, 287年 – 305年)」というらしいです。
このエピソードを見て、ソードのクィーンだなあと思いました。ソードのクィーン、命より論理のほうが大事という感じしますし。なんとなく、象徴ってこういうイメージから引っ張られてくるんだろうなあと。そして、上にも書きましたが、字をよめない民衆にもわかるように象徴とは設定されていることが多い。そして、タロットとは最初は庶民の賭博用のゲームカードとして発展しました。だから、象徴が庶民にわかる概念として確立している可能性が高いものであると思うのです。そしてそれは宗教画と結びついているから、こういう宗教画を学んだりちょっとしたことを調べたりするといろんなものと絡み合いながら意味が成り立ってることがよくわかりますね。