言葉は民族性よね
★毎週月曜日は阿佐ヶ谷のウラナイトナカイにおります。
次回は7月10日11時~21時です。
※17時~18時はご予約いただいています。
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感情が先に来てしまうタイプは説明とかできるほど言葉という型に落とし込まないから、言葉で全部管理する側からすると意味がわからないとかになりやすい。言葉で思考せず、決断の理由が言葉を経由しないって人もいるんだよね。言葉って結構最近のものだから、プリミティブな感性となじまないのかもな。
— みかみ まき (@lynxhare) 2017年7月1日
一方、言葉にはめ込みながら理解し整理して比較検討の末決断する人もいてそういう場合、意味がわからないとかになるよね。言葉に頼りすぎてると言葉が皆同じに思ってるとも思いすぎてしまうすれ違いというのもあるだろうな。言葉って本来は型であって中身は使うたびに本人が込めて完成する気がしてる。
— みかみ まき (@lynxhare) 2017年7月1日
ハイデガーはひとつの言葉を説明するのに何ページも使い多方面から考える(故に読むの面倒くさい)。「ある単語」の定義し中身を説明するために「こういう風でこういう風だよ」と彼が意図した意味を表現してる。型を通してコミュニケートして中身の近似値をとらえ理解に至せたいのだろうな。
— みかみ まき (@lynxhare) 2017年7月1日
言葉は永遠じゃないね。ある意味、中身が時代で地方で文化の違いで入れ替わる。スーパーナチュラルのチャーリーが友だちをBワードで呼ぶのを聞いて、時代は目まぐるしく変わるんだなあと思った。確かに超にかわってクソが使われ、おいしいやかわいいにクソが付く時代。慣れちゃう自分にびっくりする。
— みかみ まき (@lynxhare) 2017年7月1日
わたしが土曜日につぶやいた言葉なのですが、コミュニケーションの時の擦れ違いはこの辺から起こるんだろうなあというイメージを踏まえてのメモ。常々、水サイン強めの人の話し方で、「なぜ黙ってしまうか?」「なぜ言わないのか?」というのを風の人間として考えてしまうというか。長らく考えていたことがやっとガテンが行ったところです。風の人間としては言ってくれないというのはとっかかりのチャンスがないのでフラストレーションがたまるわけで。
最近よく思い出すのが気を抜くとやらかす父のとんちんかんな答え方ですね。「あれとって」と代名詞で指定し、具体的に指定しないととんでもないものを渡してきます。
例えばテレビ見ている時に、チャンネルを変えたいときにコントローラーが欲しくてそれをさしながらそれとってといったら、私の父はスリッパとか渡してくるタイプ。これで何回もあれやこれではわからないと言われ続けました。(しかし彼の水星は蟹座、水サイン。冥王星と月はスクエア。)あと食べるなとか書いてないとたいていのものは許可なく食い尽くされます。言葉って難しいんだよってことを学んだ気がします、笑。
言わなきゃわからん!が基本姿勢。想像なんて間違っている可能性高いから、自分の言葉で必要だと思うことを語ってよ、理解し合うために手を抜かないでよ!と思うのです。理解し合うことに手を抜かない=愛情なんじゃないかなと思うのですけどね。
まず、そもそも言葉というのは民族性があると思うのです。大きなくくりや小さなくくりありますが、結構な印象への「差」があるわけですね。その辺の差っていうのは、無意識で学ぶことに集中していた時代に培ったものの中から自然派生するもので、なかなか説明がつくものでもないなと。皆が同じような方法で言語取得していないというのもあると思います。
感性というのは可能性でもあると思うのです。妄想力でもあって自分のある意味ため込んだものと使いこなしたり学んだものから派生してにおい立つみたいな雰囲気で、本人の個性を形成する重要なファクターだと思いますね。占星術でいうと金星になると思います。良い悪いの感性というか。そういうファクターがものすごく重要かつ暴走すると、土星という入れ物に入りにくくなりはみ出すことになるのではないかと。海王星・天王星・冥王星などが個人天体(月水星金星)にかかっていたりするとまあはみ出しやすいですよね、土星の壁から。
そういうはみ出し方っていうのが、言葉にあてはめてしまうと似て非なるものになってしまう。言葉にあてはまらないなにか。聖書の一説に「はじめに言葉ありき」というくだりがありますがあれ言葉じゃなくて本当はロゴスなんですよね。言葉はロゴスの一つですが言葉とロゴスはイコールではない。ロゴスの一部に言葉があるのではないかと思うのです。そして、言葉に入り込めないロゴスみたいなものが水のサインの担うところなんではないかと思います。言葉に依存する人からすると、言葉に表せないことをナンセンスと思うかもしれませんが知力がないのではなくて、感じている方法が違うのでしょうね。そういう人はたぶん絵とかの方がまだ自分が感じていることに近いことを伝えられているだろうし、どうしようもないだろうから、それがわかる人説明が不要な人に魅力を感じるんだろうと思いました。
この話題を掘り下げて考えるとき、言葉って民族を表すなあと。山羊の示す掟や伝統、習慣など。昔、わたしは日本という国はそんなに好きではないので、今は自分に一番都合がよいから住んでいるだけだし、日本州でも日本省でも構わないというようなことを言ったら、歴史(太平洋戦争あたりを特に)を深く勉強しているうちにいるもう一人のオトナが、
「今、自分がマジョリティとして一番優位な条件で国にいるといういるからそんなことが言えるんだよ。マイノリティとして自分の民族の言葉を使うことを許されずその国の公用語を使うことを強要され、制限があった状態になったことがないからその悲しさがわからないのだよ」
と言っていて、その時はちょっと意味わからなかったのですが。でも今はハンナアーレントなどいろいろ読んで、亡命とか難民とかそういう問題も多発し、マイノリティ(その国のマジョリティではない民族の国民)の心理的疎外感がなんとなくわかるし、公用語や世界共通語(英語など)の便利さに負けずそれぞれの国がそれぞれの伝統を守るために、言葉を子どもたちに伝える大事さもよくわかる。その言葉伝統そして血を残すことは、一致団結して居場所を守ることだし、居心地や権利を集団で守ることを可能にすることなんだなあと、その効力や大事さが理解できる。
それだけ、理解に至る素地を共有していること(民族性)は今の日本では当たり前のなのですがそれは日本人がほぼ単一民族でそれを簡単に維持できているので重要さに気が付かないということでもある。
海外に行くとき、思わず日本人で固まってしまうのはこの団結して孤独感を紛らわせたいからというのもある気がします。
いわしやまぐろだって、ばらばらなところで生まれたと思うのですがいつのまにか団結していますよね。鳥だってそう。群れを成して飛ぶし。種を残すためにそういう機能が付けられているのかもしれません。自分と同じに相手が動くと思うのはイワシの群れがシンクロナイズドスイミング並みにピッタリと一緒に動くという当り前さと似てるのかもしれません。感性で動く、反射みたいなもの。それは学び取って後天的に手に入れた才能というよりはプリミティブ(原始的?)という
蟹座も山羊座も活動宮。一緒に困難を乗り越えるために団結して、集団の力を利用し、勝利の確立を上げるということで安心したいサインなのかも知れません。言葉の深度は過ごした時間でシンクロすると思いますねー。同郷の人と結婚したい気持ちになりやすいのは楽だからですね。だから、もし、その時間があまりない人と結婚するとなると、それは感性がない
土星って、自分を守ってくれる壁であり自分の成長や可能性を阻む壁でもあります。そういう意味で箱が必要な水の入れ物としてはとても安心するものでもありますね。ある程度カベがあるから「他人と自分」自他境界線がある。異種族がいるから同族というカテゴリーもできる。
言葉は土星という枠で決められているというイメージは上記のイメージから派生したアイディアです。日本語とか、英語、中国語とかがあり、それぞれ方言がある。そしてそれをどう使うかという個人の積み重ねがあるわけで。積み重ねは月、そしてその中身を取り出して実行するのは水星。何のためにそれを行うかというのは太陽で、その前に好き嫌いという感性(金星)があって社会に目的のために切り込んでいく。でも切り込んでいけるのはせいぜい木星ぐらいまでだよなーとか。
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個人的には風の目的というのは、合理性を求めた情報共有で必要な情報を積極的に伝えることで自分の欲しい情報を手に入れ活かすというところがあります。先日の冬ソナを見て思ったことは嘘や沈黙って、結局自分のイメージのコントロールなのかもなと。さそさそしい!というのはこういうことなのか?!と思うのですけど、同じであるためにある程度、表面に出すことを成形する必要があるのかもとか。言えないというのは、言うことにより関係性が変わることを恐れているのかなとかね。
でも適切な言葉がないからきちんと言えないのであれば言わないというのもあるのかもしれないということを改めて認識中です。
人の行動の不可解さ、これがまあ混ぜたり分けたりする要素で、だからこそびっくりする瞬間が良くも悪くもあって、良くも悪くも変化するきっかけになるのだとは思いますけど。