ドラゴンクエストの歴史を覗いてみる
★毎週月曜日は阿佐ヶ谷のウラナイトナカイにおります。
次回は7月31日(月)11時~21時 通常鑑定
※対面鑑定に来れない方のための新メニュー「水晶からのメッセージ郵送します」は8月1日スタートです。
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ドラゴンクエスト11「過ぎ去りし時を求めて」が発売しましたねー。PS4版と3DSと同時に発売とか、時代は進んだなあと遠い目。
昨日の夜からダウンロードで買うことができるというのも目玉ぽくてあちこちを祭りっぽくにぎわせていましたね。お店に並ばずに買えるというのがすごいです。
でも、こんな話題を振っておきながらわたしは多分買いません。うちにいる人がちょっとドラクエ発売祭りに心を躍らせてるせいか、気になってはいます(あの人は買うのだろうか?笑)。しかしドラクエは本当にロマンがありますねー。オトナになってもウキウキしますね。
ドラゴンクエスト1が発売されたときはわたし13歳。中学生です。ドラゴンクエストはなんというか、すごいインパクトでした。なんと1は人に借りてプレイしたので結構後になってから。そして、今調べてみたら1が出て半年後に2が出ていてびっくり。
1~3の中でやはり3の世界観というか、世界の広さ、大航海時代的な冒険感が好きで、今でもワクワクします。ドラクエだけではなくて、ハイドライド、イース、ダンジョンマスターやブラックオニキスなどに結構夢中でしたが、これらはパソコンゲーム。ファミコンという画期的なシステムは衝撃でしたねー。
射手座海王星世代としては、この冒険ロマンは垂涎モノだったわけです。1970年ごろからいて海王星ですから、高校生と中学生の心をわしづかみだったと思います。私もわしづかみされました
それが現在になっても、クオリティがどうであれ、自動的にウキウキしてしまう感じなんではないでしょうか。もう少し上の世代のジュリーやビートルズみたいな存在なのかも。祭り気分なのはきっと小さい頃はお小遣いで自由に買えなかったけど、今は思う存分大人買いできるいて海王星世代なのでは? 復活の呪文とか復活させていますし、笑。
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当時を懐かしく思ってその当時を振り返ってみようと思ってググっていたらすごいブログ見つけました。ドラゴンクエストの歴史というか、エニクスの歴史を見るならこのブログが秀逸です。
エニクス「ゲーム・ホビープログラムコンテスト」すべてはここからはじまった
Wikipediaではあまり詳しく書いてないのでググっていたら出くわしました。もう「そうだったんだ!!」というのが何回も出ます。基本的にソースはこのブログとウィキとを参照して、チャートを読んだりしています。
まず、盲点だったのですが、エニクス創始者の福嶋さんという人がすごい。福嶋康博さんは1947年8月18日北海道旭川市に生まれ。1947年といえば冥王星と土星の合の年、常識をぶっ壊すクリエーションの配置ですよね。そしてしし太陽生まれ、チャートを開かなくてもすごそうな配置を思い浮かべてしまう誕生日ですね。もちろんししにステリウムで水星金星太陽と冥王星土星5つ。このすごい人が後ろにいてコンテストを開いたからこそ、生まれたドラゴンクエストなんだなーと思い知らされました。
木星が蠍でスクエア。ワンマンだけど、人情家ってやつだと思いますね。すごいなー圧巻だなー。こういうすごいチャートを努力と根性で使い物にするとこういう偉業を成させる土台を作るこれまたすごい人となるのですね。惚れ惚れします。大変だけど(笑)、リーダーシップ抜群という気がします。
この方、大学卒業後アメリカ・インドなどを放浪し、会社を設立して成功したのですが広がりを感じられず、その後1982年にホビー分野のソフトの方が将来有望だと目をつけて、社員が誰もゲームを作れないのに「第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」というのを開催し、できる人を発掘するということから始まったらしいです。すごい、バブル感満載ですね。
1974年 個人経営会社・営団社募集サービスセンターを創業(28歳)
1982年 子会社としてエニックスを設立(福嶋さん35歳!!!)
1982年1月16日 紀尾井町のホテルニューオータニにて「第1回・ゲームホビープログラムコンテスト」の授賞式が開催
〇千田幸信さん 1950年9月29日 エニックスの担当者、各箇所との調整役、ドラクエのプロデューサー。
「第1回・ゲームホビープログラムコンテスト」(賞金は300万円!)そこに応募してきたのが当時高校生だった天才プログラマーの中村光一さんとライターの堀井雄二さん、それぞれ別々に応募してきて、出来上がったドラゴンクエスト。二人の仲を取り持ったのはもちろん、個性豊かないろんな人たちをまとめたのがが千田さん、てんびん座なんじゃないでしょうか。
千田幸信さんと堀井さんと中村さんはその後渡米しアップル社展示会「アップルフェスト」で当時アメリカでブームだったRPGに出会い、ドラゴンクエストを発案・企画したとありました。
この方、今はスクエアエニクスの取締役ですが、最初はエニックスの子会社にいて大学も中退しています。チャートとトランジットを見ていると、もともとネイタルに天王星と太陽のスクエアがあります。望んだ方向にはもしかしたら道が開けず、与えられた環境で芽吹くタイプかも。ドラゴンクエスト発売日のトランジットは彼のネイタルに火星にトランジットで土星が乗り(こんな天才4人の連絡係をやるなんて取りまとめに苦労してそう・・・辞めたいとか何回も思っただろうなあと妄想。)
1986年よりドラゴンクエストシリーズのプロデューサーを務めていて、それが思ってない方向に彼のキャリアを押し上げたのではないでしょうか。ドラゴンクエスト1が発売日に、彼の太陽と天王星のスクエアににトランジットの海王星が加わりTスクエアになっています。ここから快進撃を続け、エニックスの常務になり、最終的にはスクエアエニクスの取締役にまでなっていますから。
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1983年6月 エニックスより『ポートピア連続殺人事件』(堀井雄二さんデザイン)発売
1984年10月 任天堂と提携し、ファミリーコンピューター用のソフトを提供することが決定
1986年 5月27日『ドラゴンクエストI』発売
1987年 1月26日『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』
1988年 2月10日『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』
〇堀井 雄二さん 1954年1月6日 当時ライター、ドラクエのシナリオライター
この人、漫画家になりたくて永井豪さん(デビルマンの人)のところに行き断られ、とりあえず大学に行くかということで早稲田に入った模様。(すごいなー。とりあえずで早稲田に入っちゃうとは。)1972年に早稲田大学第一文学部に入っています。このあたり、冥王星が天秤に出入りしている時期。その後冥王星てんびん座がネイタルの太陽にスクエアの時期に事故で三か月入院していますね。
※1982年1月16日 紀尾井町のホテルニューオータニにて「第1回・ゲームホビープログラムコンテスト」の授賞式が開催
ジャンプの編集者に「第1回・ゲームホビープログラムコンテスト」の取材を頼まれ、自らもPC-6001で自作した『ラブマッチテニス』を応募し、入選プログラム賞(賞金10万円+商品化)を取っています。83年にパソコンのアドベンチャーゲーム『ポートピア連続殺人事件』そして84年に『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』をシナリオを作っていますね。そしてその後、アメリカのアップルフェストにてRPGに出会い、ドラゴンクエストを作成。山羊がn月であれば、t冥王星がスクエアですね。
※これがドラゴンクエスト発売日のチャート1986年 5月27日
ネイタルに蠍の土星火星合があるのですがそこに冥王星がトランジットで合になっています。山羊座ステリウムの達の支配星は土星。すごい衝撃でしょうね。しかもどんどん60度になっていく配置。そして冥王星は獅子にあるだけで水と土の人。もしかしたら、月は水瓶かもしれませんが。さっきウィキでみたら、ずーっと、ドラゴンクエスト系のシナリオを担当していらっしゃいますねー。すごい、山羊一回シリーズ定番化で、設定するとずっと作り続けますね。
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さらに、ドラゴンクエストをつくるのに、秀逸なプログラマーの一人のこの方(ほかに森田和郎さん、芸夢狂人さん)
・中村光一さん 1964年8月15日 プログラミングは当時高校三年生、天才少年。
堀井雄二さんと一緒の「第1回・ゲームホビープログラムコンテスト」で「ドアドア」(2位賞金50万円)で入賞しています。このころすでにマイコンで200万くらい儲けていたとか。なんというか、上記のブログで紹介されているところを拝見すると、超ド級の執念だと思います。なんというか、道がなくても道をこじ開けるすごさ。中学でアーケードゲームでゲームにのめり込み、さらに「先輩が所有していた米国製パソコンTRS-80に触れ、プログラムに開眼する」そうです。
彼のネイタルの目立つところに、冥王星天王星水星が合でこれは小学校のころから天才だったのではないだろうか?と思う配置ですね。賢すぎて周りがあほに見えたとかあるかも。それに海王星と月が合で攻殻機動隊じゃないですけど、コンピューターと神経がつながっているように操れるような気がします、笑。
どんどんパソコンが欲しい情熱ヒートアップしどんどん試したい!みたいな気持ちになるというのは乙女蠍コンビネーションだと思いますね。凝り続ける。しかしその当時バイトは禁止だったらしいのですけど、こっそり新聞配達のバイトをしてお金をためながら部品を買い集めていたようですね、すごい。もっと部品が欲しい!でもお金がない・・・と思っていたところに、パソコンショップの店長から「これで稼げ」と「ゲームホビープログラムコンテスト」のチラシをもらったのがきっかけで応募したそうです。太陽獅子、水星乙女のゴリゴリと目的に向かって達成していくさまを見ているようですね。
今みたいに、ググれば情報が出てくる情報が平等の現代とは違う、その当時。情報に出会うのが簡単な世の中じゃないから、すべてドラマチックという感じしますね。公平じゃないというのが明らかという世界。この後も、大学進学のために上京し、ドアドアの印税は1000万円近く、大学2年の時に友人を株主に、自分で会社を立ち上げています(太陽が獅子座ぽい)。このころは、仕事がガンガン増えているような配置で、海王星は山羊に、木星は牡牛にと土っぽい追い風がどんどん来ています。
その後『ドラゴンクエストV』(1992年9月27日発売)までの開発に携わるが、エニックス作品から離れるとありますね。これのちょっと前に彼の水瓶の土星とt冥王星はスクエアに来て、さらにn太陽とスクエアを形成し、月のあたりに来て合になっているタイミング。もともと、海王星が月の横にいるので冥王星くらいしか心境の変化を導けないような気がします。
自分だけでやりたいことができたのかなーって思いました。その後『弟切草』『かまいたちの夜』ってゲームて結構有名になりましたよねー。これは彼の会社が完全オリジナルで作ったとありました。やってみたいことを思いっきりやってみたかったのかなと推測します。
・鳥山 明さん 1955年4月5日 キャラクターデザインはもう言うまでもなく素敵すぎるので割愛。ドラゴンクエストがなくてもすでに偉大な人という感じなので・・・ちなみに、堀井さんに取材を依頼したジャンプの編集の鳥嶋さんは鳥山明さんをその当時担当していました。もうなんかいろいろな縁が結ばれているって感じですよ、ドラクエ。
・すぎやま こういちさん 1931年4月11日
すぎやま先生なんと御年86歳!!うわお。蟹座冥王星の世代です。ドラクエには大きかったのではないでしょうか。わたしも中学の時の先輩がテープにドラクエのサントラ入れてくれた時は惚れそうになりました。そしてうっとりとしながら聞いたものです。ドラクエの印象の良さはデザインと音楽がひきたてたと私は思いますね。
ご両親が音楽とゲームが大好きで、その影響でゲームと音楽好き。中学では音楽部を立ち上げ、高校ではオーケストラに入っています。結局、理系に進んだものの、なんとすぎやま先生は東大の理系の学部卒。音楽はずっと大好きで音楽大学への進学を望んでいたが、ピアノが弾けなかったことから断念し、お金がなかったことから東大!そんな理由で東大に入れる頭脳なのか、それとも時代なのか・・・。大学在学中は音楽に没頭していたみたいですね。
Wikipediaには・・・
工場でアルバイトをしていたのに、引き抜かれ「文化放送」に入社、音楽業界のプロの作曲・編曲方法を直で体験したことが後の作曲家と
1985年8月にエニックスから発売されたパソコン版ソフトのアンケートハガキて送りそれが縁で担当者からゲーム音楽の依頼が入り、エニックスとつながりが出来たとかいてありました。さらにドラクエ用の内部で作った音楽が余りに良くなかったので、すぎやまこういちさんに依頼したとのこと。すごい偶然が偶然を読んでいるタイプですねー。
なんというか、思ったこととは違う結果が出やすい冥王星と太陽+天王星のスクエアだけあるなあと思いました。ダイナミックな引き寄せ方をしています。あと、こういう時に肝なのが何であろうと、己の信じる道に磨きをかける、結果は後で予測不可能な所から来るという配置なんですよね。みずからを修行に没頭させて痛めつけているタイプでないと、環境から痛めつけられてしまうとも言えます。すぎやまこういち先生は、どんなに環境が悪化しても畳がひっくり返るようなどんでん返しが来ます。執念と努力と没頭という言葉が思い浮かびますね。例えば、音楽大に行きたくても東大にいったり、工場でアルバイトしていながら文化放送に引き抜かれたり、文句のはがきを描いたら逆に仕事の依頼が来たりと、本人が意図していない方向から意図していないものが来るという感じがします。
今回いろいろ見ましたけど、すごい巨匠が集まってあのロトシリーズは作られたのだなと思いました。実は私、ドラクエは3が一番好きです。普段はファイナルファンタジー派でした。家にあったから遊んでいたというのがありましたけど。