家父長制に対するメモ
★毎週月曜日は阿佐ヶ谷のウラナイトナカイにおります。
次回は8月21日(月)11時~21時 通常鑑定
※水晶リーディング練習会は28日になります。占われる側は12時の一枠のみ空いています。よかったらどうぞ。
※『水晶からあなたへのメッセージ郵送します。』
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8月15日の終戦の日、撮りためていた「家庭の心理学」という内容の放送大学の番組をぼんやり聞いていて「戦後欧米化が進む中、家父長制の廃止により、父親の役割というものがあいまいになった・・・」というくだりで、脳がくわっ!と目覚め、「ああそうか・・・!!!」となりました。最近ずっと考えていたことが腑に落ちたのです。それに関する考察のメモです。
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日本の明治民法において、家長権は戸主権として法的に保証されていた家父長制度。家という単位で人を戸籍を管理するには国として便利だったと思うし、民族(武家とか)にまつわる家を守るためには習慣としてあったものなのだろうと思います。
そしてその長もその上の長に、そしてその上にというトップダウンという制度「いざというときに助けてもらえない」という恐怖(もしくは決まっている安定と安心)で下を従え、村長とか家長とか「長」という人がまとめる、あるいは責任を取るという制度。倫理観はさておき、システムとしては理にかなっている気がします。明快かつ、合理的。
しかしそこで戦争と敗戦が起こります。いろんな人が上に従っているとヤバいというのに気が付くわけです。そして敗戦後の家父長制度の廃止。さらにどんどんと欧米化そしてウーマンリブ。
獅子冥王星の初期生まれは基本的に戦中・後ヒドイ時代に幼少期を過ごし、戦争ろくでもないと思い知った人、もしくはそう言う親に育てられた政府に闇雲には従わない人たち(「オレ」を主張せずにはいられない世代?)新時代の人が生まれたり、自営業で成り上がったり一攫千金を狙ったりしていた人が多かった時代が獅子冥王星の時代な気がします。それを見て育っているので、いつかは俺も!的に脱サラとかアメリカンドリームみたいな人たち・・・という印象があります。(ちなみに冥王星は1939年から獅子に入り、その年に生まれた人たちが大学生18になったころ1957年に火焔瓶投げる系の人たちの集団が結成されていますね。まあのちにそれはあまり個人的利益にならないということで、あっという間に会社員になじんでいった人も多いでしょうけど。)
ここで面白かったのが「最もラジカルに既成秩序の打破を訴えた全共闘運動においてさえ、街頭デモに繰り出すのは男子学生、女子学生はキャンパスの中でおにぎり作りに従事させられたことから、「女性は男の奴隷ではない」との主張が生まれた。」と出ていました@wiki先生。
戦争って、男性が不在の社会を国に作り女性が何でも肩代わりしたせいで、「なんだ男要らないじゃん、いなくても大丈夫じゃん」という意識が生まれたといわれているドキュメンタリーを見ました。女性の社会進出というのは戦争で一気に加速したといっても過言じゃないではないでしょうか。性差とかいっても、文明が発達した現代、男女平等に教育の機会与えたら頭脳とかに関してはあまり変わらないということが露呈してしまったというか。
天秤の冥王星の前半70年代はベビーブーマーという1947年(土星冥王星合の年)の団塊の世代のジュニアです。ウーマンリブ運動が女性解放運動として1970年代初頭にアメリカ合衆国や日本などの先進国で起こり始め、1975年3月8日には「国際婦人デー」ができたりしています。
この天秤の世代、小さいころの教育でどう感じるかに矛盾する二つの価値観が教育の現場において拮抗している世代でもあると思います。つまり、家父長制から抜け出せていない保守的先生と、新しい時代を見据えている社会派の先生が混ざっている時代。そのころ年配だった先生は蟹座冥王星生まれの人たちだったと思います。たぶん「家父長制は法律としてはなくなったけれども、俺の中では終わっていない」系なのでしょう。さらに文化差なども、東京や他の大きな都市の真ん中にいて新しい文化にガンガン変わって適応していっているところと、戦後もあまり変わらずゆっくり変化していっているところが混在している時代。
教育者であったとしても、まあそんなに人は変われず国の方針が何であれ、価値観が混在していた時代だと思います。その影響を素直に受けた人と、「けっ」と思った人といたのではないかと思うのです。男性は男性優位だから家父長制を信じたい人もいただろうし(楽だから)女性は自分に有利だからウーマンリブを信じたいと思った人もいたのではと思います(資本主義、プラグマティズムですよね)。
トレンディードラマとか称して、テレビでも25歳前後の女性がいい男ゲットするための恋愛ドラマとか流行っていましたね。そういう刷り込みが自分の中で憧れだったりロールモデルと蟹設定されてしまうと、結構破るの大変だと思います。法律は強制していないが、心理的圧迫がなんとなく漂っている時代。黒板を丸写しするのが勉強で、雑誌を読んで振り回されていた時代。
そして、価値観の混在した世代が、いろんなチャンスを狙って、都会に出ている都会で育ってない人たちが恋愛結婚(これ獅子冥王星が作った文化と推測、笑)という新しい風潮の中で、新しい家庭のシステムというのが定まらない中(いろんなべき論が飛び交い)、当人たちが試行錯誤して調整しながら家庭を維持し、だれがどれだけ我慢するのかという割合が年々均等化していく推移で流れて。
冥王星おとめ座当たりの結婚で、家父長制VSウーマンリブがぶつかり、家庭のフォーマットみたいなものが崩れ始めるのが社会に露呈し始めている気がします。しかしながら教育でどうあるべきかも教えられず家では家父長制が当たり前のように行われという矛盾。自分の家庭で家長として君臨しようとするけど社会と時代が援護せず、自分の役割が何かはわからず路頭に迷う男性多かったのではないかと思いますね。
男性側は役割を社会から与えられないし、自分で見出すほど前例がない。女性は男性の都合のいい家長の部分だけを求め(主に責任と金?)都合が悪いところはウーマンリブを持ちだす、混沌。めんどくさいから亭主元気で留守がいい、会話とかをはじめいろんな交流がレスになって行ってしまうという事態になりそうです。乙女冥王星は水星なので実力至上主義で、おまえいらねー!となることも多々だったのではないでしょうか。
天秤の冥王星あたりで、家父長制はすでにパストテンスがマジョリティという認識の下、女性が働くが当たり前になり、ほとんどの人が自分の意志による結婚するしないを選び(周りが強制的に結婚を勧めないのでデフォルトが結婚しないになるけど)、自分の意志で結婚しているゆえに家庭のシステムがほぼテンプレがなく、オーダーメイドとして一からその家庭ごとに作り上げなくてはいけないことになってるんだなーと。家父長制に甘えられない女性がひーひー行っている気がします。この辺で専業主婦はレアキャラになってきてると思いますね。自立した二人のカスタムメイドの家庭図が求められてきます。(しし座冥王星世代の親なら、好きに生きなさいとなること多そう。)
ここで、意識と価値観に差を持った二人が、その(生育環境から得た自分が正しいと思ってきた価値による)正しさを家庭に持ち込み、正しさを競い合ったらどうなるでしょう。価値観の否定=人格の否定ととられるかもしれないし、生存競争みたいになるかもしれない。そうするとはたから見ている以上に大事にとらえ、援護射撃をしてもらうために外側の意見を持ち込み、複雑化していく。聞く耳を持たないで、閉じこもる人もいると思います(論破されるのわかっているけど、変わりたくない人もいるだろうから)
嫁という字があらわすように、昔は男性の家に女性が入りそこのルールに従うというシステムで家庭が回っていた。何をどれくらいすればいいのかというのが、女性のほうの家の文化と男性の家の文化を異文化交流させ、お互い話し合いの末すり合わせて我が家の適度を作らなくてはいけないシステムなので、両方が劇的に変わって己の文化を捨て相手の文化を理解しようと積極的にかかわらないとシステム構築が不可能という現代なのだなと、思ったわけです。
結婚は基本しないがデフォルトの現代じゃないでしょうか。するを選んでその努力をしないと選択肢として発生しない。昔の強制的だった結婚感からすると「結婚しない=できない=問題がある(?)」という風に発想する方多いですが、そもそもスタートが違う。昔のそれは「結婚する」がデフォルトだったときの構図で、それは昔は結婚しない方が代償多いというか生きていけなかったからでる考え方だよなあと。現代は「しない」がデフォルトで、結婚するメリットが見出しにくく、代償のが大きいと感じるのが現代なのかも。そして本当はしてもしなくてもそれなりに代償はあるだと思いますが、しないことによるデメリットは直面しないと想像しにくいという罠がある気がします。
女性のほうも変わりたくない人も増えて(法律などで強制されないなら変わりたくないと選ぶ自由が発生する)、男性は変わらなくてもいいのだと(家庭内)教育を受けてる人も多く、だれが変わるのか?問題が勃発している気がしますね。例えば夫婦別姓、わたしからするとファミリーネームってどうでもいいので、名前なんて記号じゃんくらい思っていていますが、そういうのも嫌という人もいるわけで。
変わる=相手の文化に屈する=負けだと思っている人多いのではないでしょうか?
ツィッターとかで見ていると、女性がルーチンで動かないことで自分の価値観を固定させてもらえず、行動において想定ができないことを怒っている男性が多いような気がします。つまり、君の役割僕の役割をお互いで理解しあえていないか、役割とは仮であり入れ替わることもあるだろうという文化が男性にないか。女性は臨機応変という名前の適当さを発揮するということで男性に混乱を与えているということを理解していないようにも思えます。
基本的に話し合い(射手座)とほうれんそう(山羊座)を守れたらいいかなと思いますね、それを越えてのみずがめ座天王星意識だと思うので。まずは、できてないならできてない旨を報告する、会社員のように。
あと女性で男性に怒っているのは家長として機能していない男性ですかね。お金をくれないとか責任を持たないとか。男性には家長でいてもらいたい(責任を取る人になってほしい、もしくはそれが当然)思いながらその庇護下で自分はウーマンリブ、となるとなかなか交渉が必要になると思います。女性が社会進出することを手助けすることで男性側に旨味がないと応援はしにくいと思いますね。そこに正論持ち込まれても馬耳東風となりがちに思います。
それに、女性も男性も家庭を軽視しすぎな文化に育ちすぎている、その文化を刷り込まれているのかもしれません。女性は女性で母親が社会で活躍できなかった分活躍しろと教育されている。その上に、教育内容に含まれていないのにもかかわらず、女性的な出産や子育ても当たり前のようにやれと潜在的に期待されている。
上記のことを考えて(実は下記のことも考えてますが)家庭システムカスタマイズに関する(わたしが思った)よさそうなこと
●己の理解のために両親の子どもの頃と祖父母や住環境や教育の機会の話を聞くのは有効。
●己を知っていないと相手に理解もさせられない。相手を通して自分を理解し、そのうえで説明して理解し合う。
●正しいは存在しない。快適値を話し合いで見出す。
●外(社会、両親の意見も含む)を家庭に持ち込まずあくまでも一対一で話し合う。両親はもう過去過ぎる価値観というのを忘れずに。
●内を理解してから、外についての印象を話し合うのも大事。
とか、そういうところを踏まえて、家庭というものをフルカスタマイズしたらどうかなと思いました。
どっちかっていうと、男性のほうが変わる要素が大きいのでしんどいかもなと思いますね。しかし責任を負わない分、自由になれるのも確か。男性は今まで責任が重すぎて自由に働き方が選べなかった。女性か男性どちらが働いても、家事育児してもいいというのが本来のウーマンリブですからね。蠍冥王星の世代はそれがもう出ている気がします。女性が結構しんどい時代かもと思います。男女どっちも、家長になりたくない世代。
いろいろな問題としては、昔を懐かしむ人というのも少なからずいて、そして現代の平等傾向が必ずしも正解でもないということですね。まだまだ、調整が必要なのではないかなと思います。
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(余談)
ここでふと考えてしまうのが、この大きな世界大戦と冥王星の関係性。ここから
●1781年3月13日 天王星:ふたご座25度あたり土星火星(いて)と魚太陽でTスクエア。冥王星は水瓶。
●1846年9月23日 海王星:みずがめ座26度あたり土星と合。冥王星と天王星は牡羊に。
●1910年4月20日 ハレー彗星が比較的地球に接近(地球の外からの危機、)
●1914年6月28日 サラエボ事件 (冥王星は蟹座の初期度数)
●1920年1月10日 国際連盟誕生
●1930年2月18日 冥王星発見、蟹座サインの領域にて
●1939年9月 第2次世界大戦がヨーロッパから始まる(冥王星はしし座領域にイングレス。)
●1945年10月24日 国際連合誕生
「日本が敗戦国となった世界大戦は蟹座冥王星の時代~しし座冥王星の時代にかけて起こったもの」ということに意識が来ます。
蟹座の冥王星は居場所の破壊と再編成を行ったイメージが強いです。植民地とは誰かほかの人の居場所を破壊する行為であり、自分のホームを広げようとする欲求でもあるような。ホームタウンの混乱をもたらす戦争がサラエボ事件をきっかけに激化していく=蟹座冥王星の時代の始まり、そして続いて1939年にしし座領域に冥王星が入り第二次世界大戦がはじまるわけです。ここで個人の意思が芽生え火が付き、「こんなところで死んでなるものか!」となって、生き残ろうとした人をサポートしたのが獅子冥王星であったら愉快だなと思う。
一緒くたに統合されていた(キリスト教やローマ帝国とかに)、もろもろの民族意識の目覚め(かにーしし)でもあるのではないかなと思います。意志の表れによってあちこち分裂したり、なによりこれによって天王星意識の象徴だろうなと思われる国連が着々と出来上がり、終戦とともに出来上がって、その後そういう関係の国境を越えた人権意識みたいなものが人々の中にめばえていくという過程に感動します。最初、人は同じ形していても、違う長い間されていたのに、それがみな平等という意識に至ったわけですから。
国連の前身の国際連盟(1919年-1946年)は「国際協力を促進し、平和安寧を完成することを目的として設立」このころ初めて、世界平和という概念が具体化した。何かで、この国際意識というのは「1910年4月20日のハレー彗星が比較的地球に接近したものだった。」ため、地球という星自体に外(宇宙)から脅威が飛んでくるかもしれないという発想を生み、地球全体で力を合わせて対策を練らなくてはいけないと概念が生まれたと聞いたことがあります。つまり天王星意識というものが、人々に生まれたのは多分このころだったという感じではないだろうかと思うのですよね。
あと、常々思うのですが、世界人権宣言というのは天王星領域でこれがわかるのは、天王星意識がある人だけなのではないだろうかと思うのですよ。
トラサタがどんどん発見される文化レベルに達するということが、人々はトラサタの意識の受け入れが文化レベル的に整い、冥王星意識の目覚めとなり、しし座に入ったことで個人意識というのが個々に配られたのではないか?と思ってしまいます(完全に妄想)。それを受け入れてうまく使いこなす人と、土星の中で生きる人と役割分担なのかもなあと思います。
自分の帰るところ、居場所である蟹座に改革ですから、ある人にとっては解放であり、ある人にとっては祖国破壊でもあるような気もします。どうやって「居場所」を感じるかはその人次第だからですね。でもその関係性を良くも悪くも変えるというのが、蟹座冥王星なのではないかと思ってしまいました。
土星からの解放は、土星からの庇護の終焉でもありますから、ヤドカリの引っ越しみたいなことをしなくてはならない。そして新しい殻を見つける(価値観を己の力で形成しよりどころを乗り換える)のは危険だし大変なこと。古い殻にステイしたいと思ってしまうのもわかる気もします。古き良き時代という言葉はそういう変わりたくない人によって美化されるのかも。どの時代も合う人合わない人がいて完璧などはないというのが真理ではないかなと思います。
法律は書き換えられても人々の意識や習慣、家庭環境の背景という刷り込みや教育、善悪の概念のベースなど、ちょっとずつ残っているので、スクエアであるてんびん座の冥王星の世代がそれこそ両方のさらにおいてはかりながら真っ向から取り組んでいるのかも、・・人(外)に対する自分の在り方の再設定。天秤というのは自分から見た他人という位置を意識したサイン。よく考えたら私が小さいころ、わたしの世代(天秤の冥王星1972年~)先生に当たる人たちは一番理不尽な時代を幼少期に過ごしたであろう蟹座冥王星の世代、戦争経験者で、家父長制で育った人たちだったと思う。
わたしはその時代から、冥王星がスクエアになるくらいあとで生まれたので、そんなことはパストテンスなのですが、そういう教育を受けても「けっ」と思う反発精神を持つ因子を持つ人と、持たない人といて、いきなり文化が途絶えたりしないわけだなと。(わたしは冥王星に合なので反骨側)その時代に生きていた人、そういう風潮で育った人が「はいそうですか、明日から心を入れ替えます」とならないと思うのです。天秤の冥王星と凶角生まれの人は、もしかしたら古い時代の伝統の守護者に回るかもしれないし、というなんというか混ざって混在しながら入れ子で文化を守ったり衰退させたりしているのかなと考えました。
(これは前違うブログで書きました。)