長崎紀行2:洋館を見る&グラバーさん
★毎週月曜日は阿佐ヶ谷のウラナイトナカイにおります。
次回は9月25日(月)
10時~13時 水晶リーディング練習会
※11時~、12時~、占われる側募集しています。
14時~21時 通常鑑定
☆『水晶からあなたへのメッセージ郵送します。』
モニターを終了し、本格的に始動しております。対面鑑定に来られない方などもどうぞ。
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長崎県には、重要文化財に35件が指定されている(うち国宝3件)がありますが、グラバー園の周辺にかなりあります。グラバー園と大浦天主堂は隣接していて、道がつながってもいます。
念願のお土産通りを上がります。なんかあまり変わっていない印象・・・17年前ですね、来たの。
まず最初に見えるのは、大浦天主堂です。拝観するのに大人600円です。
●大浦天主堂〔長崎市南山手町〕 – 国宝
まずは国宝である、大浦天主堂。創建150年だそうで、フランス人のための教会として建てられたようです。イエズス会(この辺は皆フランシスコザビエルが最初に布教したからかイエズス会ばっかりですね)
基本的に、原爆被害を受けてステンドグラスが割れてしまっているためその個所は修復しているようです。進駐軍にもらったテントでふさいで寒さを乗り切ったとか。長崎も冬は寒いでしょうし。
中の写真は撮影禁止なので、パンフレットの写真を。なんというか荘厳でどっしりした雰囲気の教会。祈りの場として機能しているそうですが、ずーーーーっと説明のアナウンスが流れっぱなしなので基本観光客対応ですね。儀式の時や日曜の礼拝時にはきっちり止めて閉めてやるのでしょうか。建物も美しくて素敵なのですが、ここは隣の資料館が必見です。
資料館は、キリシタンの受難と迫害の歴史と乗り越えてきた外国人神父と日本人の信徒たちの資料は結構レアだと思うのです。ほとんどの信者が医者っていうのも象徴的だなあと。蘭学の中の医術を学ぶには多分改宗することが前提条件だったのだろうねと。それにしても、すさまじい人たちです。孤児院のお金を集めて回る、外国人宣教師。そりゃ、心打たれて改宗するわと思います。そして長崎もたくさん病院がありますね。あちこちに所狭しとあります。びっくりするほど件数が多い。特に山の手のあたりは病院だらけでしたね。キリシタンの歴史を見て念願の踏み絵を見たら複製!!本物はなんと灯台下暗し国立博物館にありました、今度見に行こう・・・がっくり。
旅行に行く直前に千々石ミゲルさんのニュースもあって、いろいろ関心が高まってました(わたしの中だけで)このミゲルさん、キリシタン大名の大村純忠が派遣した16世紀の4人の使節団のうち帰国後(弾圧が激しくなっていたので)唯一、キリスト教を棄教したとされる千々石ミゲルさん。ニュースでは彼の墓らしきものの中にロザリオの材料であるガラス玉があるということで信仰を捨てていなかったのではという話で。
これは洗面所だったところ。建物が木製で湿気を嫌うので、外に作ったそうです。
★グラバー園に移築されている重要文化財
憧れのグラバー園は天主堂の隣。
暑いのでミストが出ている入口、大浦天主堂経由
グラバー園の名物、動く歩道ー。へえええ。入ってすぐのところに旧自由亭があります。西洋料理がつたわった場所ですね。
カステラセットとダッチ珈琲(アイス)
カステラ(長崎屋)は申し訳ないのですけど普通ですが、このアイスコーヒーめちゃめちゃおいしいです。ちょっと一息。
ここは一番上にある旧三菱第2ドッグハウスなのですがここで対岸にある三菱重工の中のいくつかの施設が世界遺産になっていることに気が付きます。全く持って知りませんでした、笑。まあ産業遺産って基本的に興味ないのでアンテナに引っかかりにくいのでしょう。
●旧オルト住宅(長崎県長崎市南山手町)〔長崎市南山手町〕:重要文化財
このオルトさんが建てたのが一番ゴージャスでした。まず石造り!柱が素敵です。
破風とかあるし、像はないけど・・・
オルトさんこんな人です。
中の家財はオルトさんが大阪に移住した後、隣に住んでいたリンガー一族が住んでいてその人たちの遺品だそうです。へえー
確かにこの石造り安心感がありかなりゴージャスなので、空いてるなら引っ越すよねと思いました。
今さらながら資料を読んでみて気が付いたのですが「グラバー邸」「リンガー邸」「オルト邸」の3つは移築されたのではなく、ここにずっとあったみたいですね。この丘自体が異国人居留地ということらしいです。そして大浦天主堂も居留地以外に建てることを禁止されて(本当は日本二十六聖人殉教の地に建てる計画だったが許可が下りず)、グラバーさんの計らいでグラバー邸の隣に建てることになったようですね。
●旧グラバー住宅(長崎県長崎市南山手町)〔長崎市南山手町〕:重要文化財
なぜか写真がこんなのしかないのですが、メインのグラバー邸です。中々かわいらしい建物。
グラバーさんはトーマス・ブレーク・グラバーという名前で、んん?!これはイギリスのあの詩人と同じ名前、スコットランド人か?と思ったらスコットランド生まれでした。グラバーさんふたご座。
●旧リンガー住宅(長崎県長崎市南山手町)〔長崎市南山手町〕
オペラ歌手の人の展示があって普通の感じだったので、写真失念。でも重要文化財でした。見たけど、あまり特筆するところなし。
他に・・・グラバー園の外だけれども
●旧香港上海銀行長崎支店〔長崎市松ヶ枝町〕
これは四海楼というちゃんぽん発祥の店の隣にあります。外観を見ました。長崎にはこういう瀟洒な作りの洋館がたくさんあって、ありすぎてどれが文化財かわからないくらいです。雰囲気は味わい尽くしました・・・
ここは中に入って仲を見ることができます。ちょっとわかりづらいところにあって、わたしはフラフラと適当に歩いていたらたどり着いて、管理人さんが通りかかってどうぞどうぞいうのでたまたま見て、あとであれが東山手十二番館だったかー!と気が付きました。基本的にあまり計画なく歩いているので行き当たりばったりがおおいですね。
おまけですが、亀山社中から鍛冶町へ抜けるときに通りかかりました。寺を見るという気分でなかったのと、雨がすごくてげんなりしていたので門だけ見た場所。
●旧唐人屋敷門〔長崎市寺町〕 – 興福寺
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グラバーさんは本当に日本に貢献している人で特に三菱財閥を築いた岩崎彌太郎と深くかかわっている人ですね。結構九州の炭鉱の開発、造船所の経営、お茶工場を立ち上げるなど、たぶん商売のためという感じだったのでしょう。でも、その後、近代化に向かっている日本を結果的に助けることになっています。本によっては結構とんでもない武器商人として扱われていますが、ふたご座という特性上、請われたから売った、商売だし―くらいな感じだったのではないでしょうか。長く住むうちに情が移ったように、若者に援助したりしています。「あさがきた」で大ブレイクしたディーンフジオカが扮した五代友厚も、グラバーさんが援助してイギリスに勉強に行っていますね。グラバーさんにツルを紹介したのは五代さんだとか。
柔軟宮のTスクエア、水星と土星のオポ、月が近いですがギリギリのところですね。海王星が水瓶で、日本の発展に尽力するというのは本人の当初の意志ではなくて、巻き込まれたけどそういう形に結局なったという風だったんじゃないかなと思いますね。結局諦めず、日本の東京で亡くなるまで過ごしたというのと、武器商人としてきたけど最終的に情にほだされたのか日本の商業発展のためにかなり力を貸しているように見えます。あげく、結構お金を回収し損ねて破産もしていますね。巻き込まれて破たんは天王星太陽スクエア、その後
”明治維新後も造幣寮の機械輸入に関わるなど明治政府との関係を深めたが、武器が売れなくなったことや諸藩からの資金回収が滞ったことなどで1870年(明治3年)、グラバー商会は破産。グラバー自身は高島炭鉱(のち官営になる)の実質的経営者として日本に留まった。1881年(明治14年)、官営事業払い下げで三菱の岩崎弥太郎が高島炭鉱を買収してからも所長として経営に当たった。また1885年(明治18年)以後は三菱財閥の相談役としても活躍し、経営危機に陥ったスプリング・バレー・ブルワリーの再建参画を岩崎に勧めて後の麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)の基礎を築いた。”
キリンビールは三菱の傘下ですというのは今回の旅で知りました。ここグラバー邸で三菱重工の造船所に興味を出し、最終日に思い立って行ってみることに。
グラバーさんの長男の倉場富三郎さんは
太平洋戦争開戦後、イギリス人との混血児だった富三郎はスパイ嫌疑をかけられ、官憲の監視の下で不自由な生活を強いられた。武蔵建造の機密保持を理由にグラバー邸を退去させられたり、ワカに先立たれるなど不幸な晩年を送り、更に原爆投下により故郷が壊滅した事が追い打ちとなり、終戦直後の1945年8月26日に長崎の自宅で首吊り自殺を図り、74歳で死亡したとウィキに書いてあってちょっと悲しくなりました。
グラバーさんとの関係図で見てみると、富三郎さんが生まれたことでグラバーさん日本にとどまったんじゃないかなーと思ったくらい。娘さんもいて、その花嫁写真がでていました。