散歩の途中:「流山市の茂侶神社」
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日曜日とても天気が良く空がカルフォルニアみたいに青くて、暑すぎずいい感じの天気(紫外線は全開でしたが)
いつも車で実家に行く途中に見かける、たたずまいが素敵な神社を見ていて(流山ICのそば)ああなんかいい感じの神社だなーと思っていたんですが、今日なんとなくICを下りたあたりでふっと思い出して「ちょっと寄りたい」と車の運転手に言ったら承諾されたので寄ってきました。茂侶神社。
ついに、念願かなって伺えてとてもうれしい。
なかなか、静謐な空気が流れいい感じじゃん!!と感動して、FBに記録のためにアップ。一緒にいた人も中入って驚いていました。空気変わるというか。気持ちのいい空間が広がるというか。
こういう小さい神社は観光用ではなく、地元の人の為の神社なので基本駐車場とかは整備されていず。そういうところには道のだだっ広い地域から東京にやってきた運転手的にはあまり行きたがらないけど、たまたま渋滞をうまくすり抜け時間が短縮され早すぎるくらいだったので、寄り道が受諾されたのです。タイミングの神降臨。
周りが工場地帯でここだけ森深く何もない感じのところで、隣は浄水所。本当に何もなく、畑もないところ。しかもこの森、三輪野山って書いてある・・・調べてみると、千葉県流山市三輪野山619という住所のところにあるのですが、三輪?!と思っていたら、さっきのFB投稿に有元さんが「三輪山に関係ある?」とコメントしてきて。ムムムっ!なんでわかった?ってきいたら「茂侶神社って、かつては三輪神社といっていたところがあるって聞いたことがあるから。」ですって。
茂侶神社は大和三輪の分祀の神社。地元では全然有名じゃないと思うのですがなんと平安からある神社って書いてあるじゃないですか。
大神神社のサイトには、“『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望んだとあります。”と。
よくよく調べてみたら、流山の隣の吉川に三輪神社という名前のところと、松戸市小金井に1つ、さらに船橋にも1つ。吉川と流山の間には江戸川が流れているのですがこれどうやら人工の川らしく氏地が分断されたため、二つ作られたという感じらしいです。ほほう。
小金井は割と近所です。吉川は川を挟んで隣、船橋は。。。と思ってみたら、船橋大神宮(意富比神社)のすぐそばで、しかしご祭神はコノハナサクヤヒメ(初代天皇になる人のお父さんを生んだ人)。3つの共通点は、船橋は近くに天の真名井というところがあり、松戸の神社にも井戸があり、流山は浄水所がありました。三輪山も水が湧きだしています。もしかしたら水と関係あるのかな・・・ちなみに素戔嗚は海の管轄だったところを嫌がり、高天原に嫌がらせに行き、結局地上に降りて八岐大蛇を倒し、地上で暮らしていた神様ですね。
ちょっと面白いなーと思ったのは私が育ったところはやたらと熊野神社があります。千葉県は紀伊の国と貿易があったようで熊野神社が全国で2番目に多い土地。そして、わたしの育った地域で一番大きな神社が諏訪大社。熊野神社は大国主の命が頼った熊野の神社。諏訪大社は大国主の息子がご祭神のところ。そしてわたしの生まれたところは大國魂神社のすぐそばです。そして船橋大神宮は今日運転していた人のお宮参りの場所でこのそばで生まれています。お参りできてよかったと思いました。不敬に当たりますね、ごあいさつしないのは。
ここは私の家から、自転車圏内で割と近いところでもあります。しっかしですね、遊び場にしていた熊野神社を抜けば、初めて地元で参拝した神社かもと。千葉県の神社はあまり行ったことがありません。一か所、茂原あたりにある玉前神社一軒だけ(上総国一宮、でも昔だと国が違います。わたしの地域は下総国)。
下総国の式内社一覧からみると、下総国一宮は香取神社(交通の便が悪すぎるので行ったことないです、笑。しかし対になっている常陸国一宮「鹿島神宮」には行ったことあります、仕事で、笑)
わたしの住んでいるところは葛飾郡というくくりなのですがそこの2座(地域管轄神社みたいなところ?)が、茂侶神社と意富比神社(船橋大神宮)です。つまり地元の中で一番古くてしかも実家に一番近い一番格式の高い神社だったわけです、笑。偶然ですが他より先に行けて逆によかったのかも?調べていてびっくりしました、知らないって恐ろしい。郷土のことは小学校で習ったとは思うのですけど、笑。
とにかく、観光化していませんが、地元の自治体の人に守られ大事にされている感じします。若干たたずまいが寺っぽいなーとおもったら神宮寺だったこともあるみたいで。
場を守るのが一番大事ですから。スタイルや方式や方法よりも、「敬意を払う」ということが何より大事なように思います。
後ろの森はマイナスイオンたっぷりだねー!というような気持のよい場所でした。
ここは最寄りの駅である「初石」から徒歩25分。タクシーで行ったとしても、帰りは電話で呼ばないといけない僻地です。バス停とかもありません。車が一番行きやすいかなー。でも目を引く神社です。通るたびに、気になっていたので参拝できてよかった。御朱印はもらえるところがわかりませんでしたが、どうやらあるようです。自治会館みたいなところが社務所なのかな・・・
しっかし、なんでここに三輪山の分祀の神社があるのか本当に不明です。まず茂侶って何だろうって思いますね。最初に思い出すのは、「生きろ!」のサンの犬神かあさんのモロを思い出しました。何かしら、神様の名前だろうなあと漠然と思っていたので。でもちょっとググったくらいでは全く分かりませんでした(詳しい方ぜひご教示ください)。
こういう由緒というのは、歴史やその時の権力者の都合で書き換えられます。なので本当に真剣に調べないと事実は結構つかめないものです。茂侶神社自体、ひっそりとしてしまっていて、昔の由来を示すものがないのだろうと思います。
実際、全国各地、昔のままってところは中々ないですよね。平安時代以降、日本では仏教が盛んになっていくし、さらには神社だったここも神宮寺という名でスタイルを変えていたりしています。この神社も神宮寺の名残があるとどこかに書いてありました。あと、明治時代、天皇統治下に変わってから、管理の関係(お金やら八百万過ぎるやらで)で神社が統廃合をかなりされました(その時、神社を廃れさせないように頑張ったのが南方熊楠さんですね。そしてその熊楠に敬意を払ったのが昭和天皇でもあります。)なので、場合によっては日和ってでも生き残ることを選んだ神社があってもおかしくないと思います。何でもいいから取り潰されないように「天照大神」を祀っておけってことにしてしまったかもしれない。その他、空襲やそのほか戦で焼けたり壊されたりすれば、言い伝えは口伝頼み・・・ってこともあるでしょうね(妄想)
由緒がわからないのはとても残念ですが、場がまだ保たれていてそこを訪れられたというのは幸せだなと思いました。
わたしがしつこく調べて、一番近いかなーと思ったモロは神籬(ひもろぎ)ですかね。【「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの「あもる」の転、「き」は木の意とされ、神が宿る木、神の依り代となる木という意味(Wikipedia参照してます)】もしくは【「ひ」は霊,「もろぎ」は籬 (まがき) で神を守る意とされる。神霊が憑依している山,森,老木などの周囲に常磐木を植え,玉垣を結んで,神座としたもの。のちには,室内,庭上に常磐木を立てたものをいった。普通の形式は,荒むしろを敷き,その上に,8脚の案 (つくえ) を置き,さらに枠を組んでその中央にさかきの枝を立て,木綿 (ゆう) と垂 (しで) とを取付ける。(出典はここ) 】らしいです。他は知らないですが、流山の神社は森がセットと言わんばかりに森を保護していました。そしてその森の中がとても気持ちのいい空間なのです。この言葉に近いなと思いました。わたしの憶測の域を出ませんけど。
【追記】
茂侶神社の「もろ」は御諸山(みもろやま)という三輪山の前身の名前(?)からきているとWikipedia書いてあったようですねー友だちに指摘されました。みもろやまってなんだろと次は思いますが、
御諸(見守・霊守)。御諸山(見守山・霊守山)。(⇒☆ここから引用)
=三輪山=青垣山=タカクラ山
「みもろ」は「神が見守る」という意。この神はクシヒコを始めとするオオモノヌシ神を指す。
と書いてあるサイトを見ました。7世紀までは御諸山と呼ばれていてそれ以降に三輪山になったようですね。この辺の話はまーとても複雑で歴史を掘り返すことになるような逸話満点ですね。国譲りとか・・・。