リトリートの学びを振り返る (メモ2)
【Start from 糸魚川!!】
【土地にお礼を・・・秋葉神社 天津神社】
【いざ長野へ!学びの始まり(長野リトリート:メモ1)】
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リトリートへの期待値はあまり高くなくて、ブライアンの講座をまた受けたい!の気持ちが一番最初で。
正直、ちまたで見る癒しとか経験の共有のイベントって言われても「けっ」となるのが私。土の月だからか、あの「わたしたちだけでもりあがっています」感が苦手です。「そんなことあるわけねーじゃん、けっ」ともなるし、楽しそうにしている人見ても「うわーなんか危ういなあ」と思います(ひがみじゃんって言われそうだけども、山火事のように見える)。
あと、世界にだいぶ拒絶されていた時間が長いので人を信じることが苦手で「引き寄せ」とか、お金とか300万くらい借金したりしてまで突っ込んじゃう心理はホラーですね、わたしにとって。(JAROのうそぴょん、まぎら鷲、仰々しいの三人が好き、笑。)
それでもそれなりの値段払って(当人比)参加しようと躊躇なく思うのは過去2回のブライアンの講座のクオリティを知っているから。そして、主催者の人となりをよく知っているからとかもあるけど、何より自分の今まで学んできた占星術に信頼があるからでしょうか。人で構成される世界(社会か)にはいまだに信頼をあまり持てないけど(爆)、占星術は多岐にわたり学びその深さに心底信頼を置いています(己の中だけで、笑)。人に信頼や期待をせず、自分の直感と経験と好奇心に信頼を置いてるというか。そんなひどい心構えでリトリートに臨みました。
朝は7時ぐらいからヨガをしたり、おいしいごはん(ほぼ、あげ禅据え膳)、朝から晩までブライアンの講座、贅沢!!
講座のテーマはドリームアストロジー。夢日記を数か月分用意し持ち寄り、その場でシェアしてもいいという気持ちになった人が内容を話して聞かせるというもの。夢を聞いたあと、その夢を解説するのではなく(これすごい大事!)、聞いていて自然に浮かんでくる自分の中に膨らむイメージをシェアしていく連想ゲームのような、水紋が広がるような空気感を楽しみつつ、どんどん広げていく。雨が池に落ちるようなどんどん水紋が増えるみたいな感じでした。
この夢を扱うワーク、テクニックじゃないので頭で聞いて学んでテクニックを盗むというより、参加して体験して夢を媒介にイマジネーションでつながることで、お互いの経験を促すという感じです。より介在していくには響き合いの中に入るような積極的な、連想・想像力が必要だなあと聞いていて思いました。この人は何でこんな夢を見るのかという解説はつながりに壁を作るし、テレビを見ているような他人感がある。でも自分がどう感じるかを連想ゲームのように重ねて行ったり、自分の記憶と夢をつなげて行ったりすると、アストラル界を通じてつながりを持ち始めるようなそんな感覚に陥りました。対話は深みを増し、話した当人に戻っていき、癒しが起こる、そして癒される過程を共有することで、癒しがシェアされていく。癒す側と癒される側と分けるロールプレイは限界があり、参加することで脳みそ1つ分の想像力だったものが、参加している人数の脳みそ使用料パーセンテージ分範囲が広がるように思いました(古いけど、「ダーククリスタルやー!」と思いました)
朝夢をシェアして、その夢の海からアザラシのように出て、意識を個人に戻し、次は占星術でチャートを読む・・・。みんなガンガン引き込まれる気がしました。いや私が引き込まれていたので周りは見てなかったな、笑(資料用の録音を頼まれていたのに、忘れたくらい)これはナビゲーターのブライアンのテクニックがすごいんだなとも思いました。わたしももっと学ばないと!
普段、ブライアンはグループワークを主にやっていて、個人鑑定は稀なケース。しかももう一人同僚(仕事仲間?)の心理療法士、夢療法士(?ドリームセラピスト、サイコセラピストという言葉を使っていました)と一緒にやるそうです。グループでワークするほうが効果的なのかもしれませんね。なぜそうするかは聞き逃しましたが。。。ギリシャにいって神々の聖地でワークすることも。どうやら土地の力を借りているというのもあるみたいですね・・・確かに都会の会議室で成り立たず、これは起こらないかも・・・?
このグループワークを経て、わたしの中で象徴的なシンクロニシティっぽい気づきとしては、理性と直感の隔絶を融合して使うでしょうか。風エレメントが強い私は、理性がどうしても優勢。水晶リーディングをしている時も、解放は本当「分単位」で普段はすごく閉じているように思います。開け閉めしているような。あと深さ制限を設けているというのもあります。無防備ダイブはしない、わかる範囲、コントロール範囲、想定内を泳いでいる。遠浅の海を好むような。
このリトリートをしに来る前の、糸魚川のヒスイ拾いは浜辺で落ちている石を拾いに行くのではなくて、積極的に海に挑んでいる感じでした。わりと濡れてりするのあとでめんどくさいので好きではないのですが、今回はなりふり構わずという感じで。理性を使っていない動きだなあと思っていたとろで。むしろ、漁に近いかも。
もちろん視覚は使っているのですが、後半は石をサーチするのにエーテル体使っているような、意識が海の中を潜って見ている感覚がありました。ほぼ視覚的にはヒスイ見えないんです。気配を気取るというような感じに近いかも。例えると、コウモリが蛾を捕獲する時に使う超音波のイメージですね。金属探知機のように拾うというか、集中力はすさまじいです。そういう風になるにはほぼ一人でないとね。コミュニケーションと隔絶されているときに一番発揮しているような。
占星術の鑑定はそれを二つともミックスして象徴をつかみ、言葉を豊かにするためにイメージの世界にダイブするような感覚があります。水晶読みはさらにもうちょい右脳よりでしょうか。それを普段からもっと右脳(イマジネーション)を漏れ出させておくという段階に来ているのかもというテーマがポップアップしていた気がします。メタファーの世界。“as if…”の世界。
2回目のワークの時は、夢をシェアする人が隣にいらしたので、水晶リーディングするときの意識に切り替えてみました。頭で理解するのではなく、言葉を捨ててビジョンで受け止める世界。言葉って、土星だなと常々思っていて癖とか主観とか理性(という環境から与えられた水星期の型)がすごく働く思うので、そこを捨てるというのが水晶リーディングでは大事な感じします。雰囲気というか空気を読むというか。これが思いのほか面白かったです。内容はシェアできないけど(プライバシーがあるので)
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リトリートの基本はオープンマインドそして、オープンハート。わたしが場と団体の力を借りて経験したこと。わたしのリトリートは、例えば、わたしにとって象徴的な出来事。全体的に思惑というほどのものはなかったですが、想定しようとする予測して己の利(だと思っているもの?)を守るために想定しようとする乙女月の癖があるのですが、それを越えた想定外というものがよく起こりました。というより、想定を計算する機能が完全に壊れている感じしますこのところ。「ああ、もうなるようになれー」とぶん投げているというか?
◎しっかりとしなきゃと思いすぎて、アルコールを飲むのをためらっていたのに、二晩とももらいビールして楽しく飲んでしまったこと(⇒想定外のラッキー、笑。そしてこのところ酒量が急激に増えている・・・)
◎1日目の朝、前の晩にカモミールティーを頼んでおいたのにもかかわらず、なぜかコーヒーも追加注文してしまった。それを見たブライアンが「カモミールは夜寝る前に飲むものだろう?覚醒するカフェインの入ったコーヒー、まきはいったいどうしたいんだ?」といわれ、はっとする。両方飲んでみるとコーヒーは習慣で飲んでいて、飲みたかったったのはカモミールだなおいしいなと感じました。それを見ていた友人に「コーヒーは頭で土星、カモミールは心で海王星じゃないの?頭で考えて情報をキチンと受け取らなくてはいけないと習慣的に感じているだけなのでは?」と言われ先入観がぱりーんと割れたみたいに妙に腑に落ちました(⇒意図していない組み合わせ)
◎ブライアンに「ハートで感じてソールを解放してもブレインは死んでいるわけでも寝ているわけでもないよ、水面下できちんと働いてるよ」と言われ、腑に落とすための素地がバリバリ広がる感じ(⇒私が何を恐れているか言葉にしてくれた感じ)
上の3つがトリガーとなって左脳と右脳の使い方訓練を次の段階に進めなくてはなんだろうな、気が付き。その後、リトリートの講座のためにもってきていた自分のSAのチャートを見て目が飛び出しました。
◎海王星がききまくっているチャート・・・(諸悪の根源、笑)が判明し、ふあああああとなる。
・ネイタルの月に海王星がオポ、MCに合(とうとう来た・・・ぶるぶる・・・泣)
・ネイタルの水星冥王星がスクエア、(ということはネイタルの月にトライン冥王星ということで死ぬわけでもなし)
くらいはわかっていたのですが、
・ソーラーアークの海王星が水星にスクエア、トランジットの冥王星とは合。
・ソーラーアークの水星がネイタルの海王星に合
プラス、今大好きでよく聞いている米津玄師(特にアイネクライネ)の海王星は私の水星に海王星がスクエア持ちでした・・・どんだけ海王星に意識をかっさわれたいの・・・(もしくは1991年の18歳くらいの時を思い出すのか??”18 ’til I die!”か?)
わたしの学びとしては、海王星流れ込んでくる状態を許容するがテーマだった気がします。間違ったこといったりとかでも、それはそれでポップアップしてきた言葉を大事にするような、そんな感じでしょうか。間違いって、方向転換をする川の中の飛び石みたいなもののようなイメージがあって、正しくあるということにそんなに意味はないと最近は思いますね。インスピリエーションを「そんな馬鹿な!」でブロックせず、せめて試してみるとも言えます。それがどんな経験であれ、重ねてきた経験に間違いはなく、今そこにある課題に向き合うことにこそ、真実が宿っているとも思います。
上記のことは、今振り返って咀嚼しているから腑に落ちていますが、リトリート中は水エレのグラトラが続き、月まで蠍に入り、気持ち的に液体を飲みすぎな気がして、あまり注文しないようにしようとか、よくわかってなかったような気がします。何の流れ・・・とずっと思っていて。私今個人的にずっと浮腫みと闘っているんだよ、液体もういいよ・・・と思いました。
でもそこと向き合うのがテーマ。MCは魚なのでルーラーは海王星でもあるので。把握しようとする乙女月と、把握できなくても受け止めようという魚海王星。「見えないモノでもあるんだよ」の金子みすゞを思い出しますね。
全体的に左脳と右脳のゆらぎ。右脳にダイブすることを恐れないような手放し。「ずっとずーっとやってきたことじゃないの。ときどきできているけど、もっとできるはずよ、バーンと手放しなさい、ちまちまやるんじゃなくて!」といわれているような気がしました。水晶リーディングの修行している時は、もっと没頭していて日常に漏れ出ていたよなーと。いったんそれを閉じてしまっていて、その象徴的な夢を糸魚川のホテルで見ていたことも思い出しました。
ここまでブログを書いていて、4月30日の夢を思い出した・・・
古い中世の建物の塔(たぶんオックスフォード)に上がる螺旋階段に続く入り口が狭くて頭さえ通らなそうと思っている夢。後ろから登りなさい(サマースクールで出会った人たちぽかった)とせかされて焦っている夢。次の日お店で、まつい先生にちょうど会った時に、自分の頭が大きくて階段の入り口の細さに入れず頭つっかえそうと思っている夢を見たって何げなく話をしたら「頭でっかちってことだよね、それ。もう準備で着ていて次の段階に上がれと言われているのに、頭で考えてしまってるというか」みたいなコメントをもらったのを思い出し、なんか今回のテーマとドンピシャだなと。理性では登れない階段。上がれない段階。かなぐり捨ててトライするのか?
さっき夢見た日付でチャートを立てたら、ブライアンが言ういろいろがあてはまっていて、ふきました。ノード軸と満月とのグランドクロス。そしてそれはわたしのネイタルの火星が絡まっています。そしてその火星は金星とMR。象徴として強められるいくつかの条件もばっちり合致して。夢は無意識に要る私からの手紙でもあって、象徴的に日常のストレスなどと関係ない不思議な夢の場合はメモるの大事ですね。
昨日の夢は、川の中にある三角州を見ながら徒歩で川を渡っている夢とか、まだ水分量が多いです、笑。グラトラ続いていますね・・・
ブライアンのドリームワークは相乗効果で、「わたし」が人を意識的に助けるのではなくて、わたしの存在が他人から勝手に刺激を受ける、他人が学んでいる過程を目の当たりにすることで、イメージの材料が増幅される。水の波紋のように。学びってそういうものだなと。学校でも授業という空間を通していろいろ学んでいたわけで。紙のテストだけが学びのすべてではなかったわけで。
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ツィッターに書くことって本当に他人というより今この瞬間にビビッドに感じることを吐き出しているので結構面白い。さっき見直してて、リンクをメモ的に。
このツィートは長野にいたときに思いついたことをもめったもの↓
人のふり見て我がふり直せというのは人の体験を通して自分も学べという神話なのかもなー。人の話を聞くというのはちゃんとその話を噛み締め咀嚼できた時、かなりのパワーを発揮するなあというのが今晩の感想。自分というバウンダリーに閉じこもらずドアを開け、外からくるものを栄養にするような?
— みかみ まき (@lynxhare) 2018年5月25日
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ブライアンの学びはシンプルにしかし的確に人々の心に響いていきます。あまりにシンプルなのでわたしが真似してやろうとしても無理だろうなと思うような経験に裏打ちされてタイミングや言葉で織り上げる空間にあふれ、イリュージョンに驚くばかりでした。でも確実に私の心のドアをノッキングしてくる、的確さ。説明しても他人にはわからない、わたしにだけ響くやり方で。それぞれの人に合わせたスピードとやり方で時に直接的であり、または間接的に。
わたしの今回の学びは水星と海王星、理性と想像、右脳と左脳の仕様バランスと、その作業の融合がテーマな気がしました。一番の気づきは、意図やテクニックで占星術を学ぶ時期はとっくに終わっているということ。小賢しいテクニックを幾つも覚えることのむなしさみたいなものに実は気が付いていて(多くのテクニックは歴代の占星術師が「俺すごいだろ、ドヤー!」みたいなものが多い、ハウスシステムとかね、笑)、わたしがこういう風にできるといいなあと思う占星術は左脳領域だけではなく、右脳領域の癒しだろうなと思います。人は物質的現実的な世界だけで生きているのではなく、右脳領域という広大な領域に己を癒す方法を持っていると信じているところあって、それを模索中であって、夢をというはその一番入口の領域だろうなと思っているのです。
ここは経験と知識という砂の上に広がる海みたいなものでそこで見つける美しいヒスイみたいなものだなあとも。なのですでにリトリートは糸魚川から始まっていたと感じました。