箱と中身
※6月4日のウラナイトナカイお店日記の転載です。
※よかったらこっちと一緒に読んでください【なにものにもならなくていい】
週末に小学校からの友だちと昔の話をしたり思い出したりしていたのですが、そういえばわたし20代までは世界を飛び回る添乗員になるというのが目標で、そういう自分になることで何かが完成するような気がしていました。自分がそれを達成すると、何かが免除されるような勘違い感。そういうカッコいい自分になりたいと体が付いていかないという矛盾にかなり苦しみました。時々、憧れの仕事という型に自分の個性を無理やり押し込むという方を見かけます。わたしもそういうのを通過して思うのですが、「生きるために働く、働くために生きない」ことが肝要かなと。
リカちゃん人形の服をシルバニアファミリーに着せているような、合わない感。憧れではどうにもならない感。リカちゃんになりたいのか、リカちゃんみたいな服が着たいのか。だいぶ違いますね。自分がやりたいこと、好きなことは勝手にどんどん実行して、もしくは実行できるようにうまくお金や社会を利用したらいいだけの気もします。他人の目など気にせず、好きな服を着ればいい。自分に合う在り方と社会と調和できる在り方を住み分ければいい、と思います。
でも、そこに「すごいと思われたい」という他人のリアクションを入れるとハードルが上がりますね。構造が複雑になります。自分ではどうにもならない「他人に認められること」を目標するのは個性を消すことに近いような。往々にして、人から求められることと自分の思惑はちぐはぐなもの。他人に認められることに力を使うというのは、自分の個性や感性を人形みたいに失い人の期待に応えるということではないでしょうか、本当にそれがあなたの求めているものなの?という自問を忘れずにいたいところ。
自分の「できる」と「やりたい」の違いをまず理解し、社会のニーズから己の社会的立場を複合的に考えていくというのが一番よさそうな気がします。小さいころの憧れに安心や安住の地を求めてつっぱしると、体と魂がその型に合わないことで無理が生じます。社会からの拒絶というのはもしかしたら、自分の固定概念が形成しているのかもしれません。社会は生きるためにうまく使うもので、社会のために生きなくてはいけないということはありません(ただ、社会は個人に合わせてくれることもないけど)。
社会とのかかわり方をマニュアル通りにするのではなく、自分に合う型を模索し、自分の目標をカスタマイズして考えればいいと思うのです。今の社会はそれが可能になってきていますよね。社会を理解するタイミングがサターンリターンという気もします。それまで、社会にトライアンドエラーでその構造を学ぶというか。
社会でチャンスを提案されていること、評判が良かったことに自分が好きなこと、ちょっと融通してもいいこと、これくらいの時間ならこれをやってもお金を得たいものをブレンドしていく。そういうのをパッチワークみたいに縫い合わせて、カスタマイズしてみればいいと思うのです。
「どう社会に期待されているか」、「どういう行動が楽か」、「自分はどうありたいか?」をより分けるお手伝いが占星術にはできそうなので、迷ったらぜひいらしてください。占星術でいう楽は月のサイン、好きは金星、こういう自分でありたい=太陽と社会的にそう求められやすい、認められやすい=MCですね。一つ一つ丁寧にそれらを扱い、認識を分けてから、総合的に自分の脳力を使うというのも大事なのではないかなと思います。
極論を言えば、他人との関係性は相手に自分を攻撃させないということがまず第一段階なのだと思うのですが、超越した存在になりたいというのはサル山のボスざる的にカリスマ性を持って一段階上にいて安全圏にいたいっていう隠れた欲がありそうな気がします。別にそれ自体は自然なものなのでいいと思うのですがそれになにか理想論をかぶせてしまって大義名分を掲げてしまうと、もともとの出発点が「欲」だから不安定になるよね、そこを理解して、意識することが自分の欲に足元を掬われないってことなんだと思います。一番騙されて怖いのは自分なんですよね。自分が自分をだます、それが一番厄介だと思います。だまさず直視してその欲を肯定してしまうというのが大事かなと。己の中で意識していればいいだけのことなので。
今の状況が悪い、これは自分以外の周りが悪いと怒りが噴き出すとき、怒りは不安だと思います。不安がなんであるか目を向けましょう。