京都神社仏閣巡り1:健勲神社
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今回京都で立ち寄った神社仏閣をご紹介。
◆建勲神社
ここ宿から割と近かったので立ち寄った神社。ご祭神は「織田信長公」。船岡山の上にあります。“建勲神社は、明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された神社で、織田信長公をお祀りしています。”と公式サイトには書いてありました。正式には「たけいさおじんじゃ」というそうですが、一般的に「けんくんじんじゃ」という表記をよく見かけます。
ここは新しいのであまり興味がないのですが、一緒にいた人が戦国時代ファンなのでそのついでに。
あとこれもあまり興味ないのでよく知りませんが刀剣乱舞の何かのキャラの御朱印ももらえるようです。今は信長の守り刀「薬研藤四郎」さんの御朱印でした。
これが薬研さんかなと思ったらこの方は宗三左文字(そうさんさもんじ)さんでした。
“本能寺の変の後は、松尾大社の神官の手を経て、信長の家臣であった豊臣秀吉の手に渡った。のちに天下を統一した太閤秀吉の死去後は、その子の豊臣秀頼に伝わり、さらに、江戸幕府を開府した征夷大将軍・徳川家康の手に渡った。家康は大坂の陣で、この刀を佩いていたとされる。これ以降、徳川将軍家の重宝として代々受け継がれていくこととなった。明暦3年(1657年)、明暦の大火にて被害に遭ったが、再刃された。 明治維新後、明治天皇が織田信長に建勲(たけいさお)の神号を贈り、京都市北区の船岡山に建勲神社が創建されると、明治2年(1869年)に徳川家から信長所縁のこの刀が「義元左文字」として、同神社に寄進された“
とwiki先生にありました。なるほどー。それでこことの所縁はそこにあるんですね。刀剣乱舞ちゃんと学べばとても勉強になるかも・・・多くの人がはまるわけだ。
集団で移動しているので、順番に行きたいところ行きます。そうなるとこういうところに寄るわけですね。まあ興味ないから一人ではいかないのですが、普段いかないところに行くというご縁が結ばれるのは割と面白いです。
御朱印を2ついただきました。
御朱印って、乾くまでの間紙をはさんでいただけるのですがそれが信長さんのイラスト入り。「でかした」と言っています、笑。
あと見開きの御朱印。あとあつもりの文面を描いたカードみたいなものも売っていました。織田信長さんは敦盛の舞が大好きだったとか。
本殿の前に結構立派な神楽殿があるのですが、これは敦盛の奉納舞でもするんですかね。
“古来、船岡山は景勝の地であった。その美観が尊ばれ、清少納言も『枕草子』231段にて「岡は船岡」と、思い浮かぶ岡の中では一番手として名前を挙げている。一方では都を代表する葬送地でもあり、吉田兼好も『徒然草』137段にて「(都の死者を)鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と述べている。 ”
昔も船岡山は京都の景色の1つとしてわりといろんな文献に出てきますね。
船岡山は岡という字があるだけあって、結構階段上ります。しかし嫌になるほどではなかったかな。1日目で宿から近くあまり疲れてなかったのもありますが、愛宕山くらいかな。葬送地のわりにまがまがしさはなかった気が。うっそうとした森がある山ではあってきれいに整備されていました。明治と新しいので階段等も整備されていて登りやすいです。