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あおいとりプロジェクト

世田谷美術館「金山康喜のパリ」(改訂版)

2015年07月29日|museum, やまねこクロニクル

★8月8日(土) 阿佐ヶ谷 七夕まつり タロットバー・アーサー
★8月15日(土)南阿佐ヶ谷「ウラナイトナカイ」にて「占いとアクセサリー」
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*****

ちょっと用事があって、
このあたりに行かなくてはならなかったのでついでに
立ち寄りました、世田谷美術館。久しぶりすぎました。10年ぶり?
グーグルマップを頼らないと入口までたどり着けない始末。

行き当たりばったりで、全然何がやっているか知らない状態で、
「金山康喜のパリ」
誰これ?な突撃・・・まあ、そうでもしないと新しいもの見ないので、いい経験です。

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展覧会の一番最初に書いてあった言葉が、
『命と引き換えの透明な美しさが、残された数少ない画面に刻印されることに、
ぼくは初めて気がついた。誰に見せるでもない、自分の世界が確認されればそれでいい。』

 

興味を惹かれる、好印象で観覧スタート。
(なんか北半球の強調ポイ感じ、笑)
本当にどうやって見えていたんだろうと思います。
どれもこれも青い絵。チャートを見てみたくなります。

 

金山康喜さんは、1926年4月26日大阪生まれ。
(この誕生日はWikipediaからひっぱてきたのですが、コトバンクでは4月16日と書いてある。)

ちなみにこの金山さん、蠍の後半度数に土星があります。
この土星が蠍にいる間にこの展示を見れたことににやりとします。

 

パリのソルボンヌ大学に留学していて
(絵じゃなくて経済学という名目で、笑。最初から絵を目指していましたが
そういう名目じゃないと、留学できなかったのかもしれませんね)

同時代に、パリで活躍して藤田 嗣治とか、ビュッフェとかと交流のあったようです。
たぶんこの展示が今やっているの「Foujita」という映画の影響かと。
2015年の11月14日からですよねえ、公開。映画観たくなります。

 

産経新聞の記事に、
『ある日、アトリエを訪ねた野見山に金山は
「モノなんて本当はないんや、見てるときだけあるんや」と言って笑っていたという。』
と載っていまいた(野見山さんはご存命で、この展示の間に講座とかやっていました)

 

そんな具象絵画家が描いている、油絵の静物画たち… 

 

パリでの作品は人の気配がせず、静物画ばかり。
瓶ばかりを描いていますように見えました。
そして瓶底が富士山みたいな形で奇妙に感じました。
聖ヘレニウスの鍋とか、聖ユーレリウスの器とか
そういうよくわからない日本でなじみのない日用品を描いていますね。
栗を炒ってる鍋とか。

 

日本と違って水も買っていたのかもしれませんが、
お酒かな?とちらっと思いました。あと、食生活がひどいような気がします。
缶詰とかばかりが出ていました。

 

絵を見る限りでは引きこもりっぽい雰囲気出ています。
(いろいろ見てみたら、かなり人を避けるタイプで⇒★
人の気配が外にあると、部屋で息を殺してじっとしていることも!
フランスで言葉が話せなければそういうことにもなるのでしょうか)

結核で33歳でお亡くなりになっている人ですので
もしかしたら病弱で、結構ふせっていることが多かったりしたのかもしれません。
そうなると見つめるものって限られてきますしね。

 

人に会わなければ、関わってなければ、会う元気や気力がなければ、
家の中の机の上の静物画っぽいものばかりが対象になるのかもしれません。
絵に対する情熱だけが静かに燃えている感じがしました。

 

一番の特徴はなんといっても、「青い」こと。

 

1951年に渡仏しますが、1954年29歳のときに結核にかかります。
(サナトリウムで長期療養とかしていたもよう)
1958年に病気(たぶん結核)が悪化し帰国を余儀なくされます。

わたしが持っているチラシでは、
「早くも頭角を現しますが、病を得て闘病を余儀なくされ、
一時帰国のつもりで戻った東京にて突然の死を迎えます。」
と書いてあり、結核が原因と思い込みましたが違うようです。

 

こういう死生観って、思想の上で中心核といってもいいくらい、
どうやって亡くなったかはとても大事なことです。
ご指摘いただいてさらに興味がわきました。調べなおして書き直しました。

 

この1950年は、戦後直後。何もかにも壊滅的だった時代。
戦後の日本、すぐにはアートを買える時代じゃなかったのではと、妄想。
経済学のほうが明日のごはんにつながるわけで。経済成長が一番の目的でみんな一丸となって
国を立て直そうと(滅私で)躍起になっているときに、アートって理解されたのかなって。

 

ネットをいくつか見て結構
「フランスに渡って絵を描き続けた日本人画家たちには(この時代の)、孤独と強い苦悩が感じていた。」
と、感想を書いていらっしゃる方がいて、なるほどと納得。
確かに幸せでのほほーんとした絵ではなくて、太陽って題なのに真っ黒だったり。
それでも描きたいものがあるってすごいだろうなあと。
勢いというか、信念というか。渦巻く、そんな感じ。

 

芸術家や思想家が肉体を軽視して、美や真実の追求をしていたら、
この時代には結核という結果になりやすかったのかもです。
精神性について見直そうと思っていた流れが根底にある上に発展しているような気がします。

肉体の鍛錬や健康では、つかめない真実なのかもしれません。
追い詰められ、もしくは追いつめて、追及したもの。

そういうものは本当に人の心を動かすだろうし、
凡人の私は、その生きざまに憧れますね。

***

ちなみに、結核、
あんなに、たくさんの天才がかかった病気。
いきなり興味が出ました。そう思うとすごい病気ですね。

わたしは、結核というのがほぼ昔の話になったころに生まれたので
あまりなじみがなく、考えてなかったと気が付きました。

天王星が宗教革命と産業革命、
ロマン主義やスピリチュアリティが海王星という風に着目してますが、
戦争と結核と冥王星に着目したくなりました。死と再生とかかな。
死があるから、その研究が増えるというような。死とその回避の歴史な気がしてきました。

金山さんは結核ではなくなってないのですが、手術をしたり療養しているので
それなりに、治療を受けることが可能なんだろうなと思います。
(この時代、日本よりフランスのほうが医学が発達しているように思えますが、なぜ帰国?
薬を輸入していたから法外な値段だったかもしれないのに。)

療養で1958年に帰国して、1959年に亡くなっています。
いろいろ見ましたが、睡眠薬をお酒であおってお亡くなりにという記述は見かけました。
自死ともいわれているところもあります。でも、死因ははっきりと出されていないです。
(失恋ではないか?という感じが匂っていた気がします。繊細な方ということだけは確か)

パリでは画廊の契約を目前としていたのに、なぞだけが残ります。
なぞとなると、気になり続けますね・・・
わたしは美術評論家ではないので、この辺にしておきます。

読んでみたかったなと思ったのは、今回の展示の図録はもちろん
特集・ある青年画家の死–具象絵画に殉じた金山康喜 今泉 篤男 他(芸術新潮)の論文です。
青山学院の図書館にあるようなので、興味のある方はどうぞ。

※この後に、岡本太郎さんのことを書いていたのですが、長いのでこっちに移しました。

***

カフェもすごく素敵な感じで
おされなサンドイッチを朝ごはんに頂きました。おいしいし、値段も手ごろ。
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アイスクリームもおいしそうでしたー。


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みかみまきプロフィール写真
みかみ まき

西洋占星術師&アクセサリーデザイナー、水晶占い師占星術・タロットをまついなつき氏に師事、占星術と水晶透視を松村潔氏に師事しております。詳しいプロフィール

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