あんびるはるかさんの個展に行ってきた。
2015年08月17日|Impression, やまねこクロニクル|
あんびるはるかさんの個展に行ってきましたー
先日、この個展の主催者のあんびるはるかさんに、
ちょうどお会いする機会がありDMを直接いただいて
場所があまりに近所のなので仕事が終わった後、最終日に駆け込んできました。
でもいってよかったー。
場所は、明大前駅から近いブックカフェカイタというところだったので
思い立って行動しても、ギリギリでも行ける距離。
ウィンナコーヒーをいただきながら、
(これ500円だけどおいしい。一杯一杯その都度いれているそうです。)
作品を拝見してきました。
いろんな作品と、作品のモデルになった人にも会場で逢い、
とても不思議。似てる、奇妙なかわいい絵たち。
不思議なんですけど、親しみがわく。
帰りがけにはがきを買おうと思ってCDに気がつき、
買おうと思ったら、配っているとのこと!
はがきはミラノのドゥオモを見て書いたそうです。
なんかかわいいので、購入させていただきました。
CDは早速家で拝聴して、なかなか好みの曲。
癒されますねえ、なんか草原が広がるようなのびのびとしたメロディ。
美しい歌声。
あんびるちゃんは去年Hesomogeさんの
個展の端っこで占いをさせていただいたとき
イベントをご一緒したかわいこちゃんです。
個展の中で開催されたライブに出ていました。顔もかわいいのですが、声が素敵なんです。
そして、その声はHesomogeさんのお眼鏡にかなった芸術品なのです。
(40歳もすぎると、なんだか、若い子ってかわいいよねえと思いました。
なんかすがすがしく、若いっていいねって思えるように、笑。)
あんびるはるかさんのhjartaはここで聞けます。
良かったら聞いてみてください、
とても美しい癒される曲なので。
こういうの聞いていると、
わたしの20代は本当に仕事とか、キャリアとかばっかりに
感性が埋もれていたなあと思いました。
「遊ぶ」という概念があまり人生になじみなく、
すべてどうやったら食いはぐれないか?で生きていると気が付きました。
月が土エレメントのサガなのでしょうかね。
ここ何年かで、人生は短いなあと思うことが多々あり、
生きていくということは、
必ずしも
社会に所属していることばかりではない
と思うのですよね。
でも、社会に属している自分を柱にしている自分が半分、
社会という枠に当てはまらなくても変えられない自分がもう半分
そんな気がしているのです。
※ついでに、昨日ぼんやり考えていたことを、
ついでにメモ的に貼り付けておきます。
真理とか、魂とかというものは個人的なもので
個人差が激しい事柄なんじゃないかと思うのです。
それが主格的な感覚、主観を形成する元であり
「わたし」という感覚を構成する主成分なのではないかと。
人それぞれが培ってきたもの軸にして、
そこから派生する「フィット感」と「違和感」
人が個体として生きる上でもしくは個別化されるという存在という意味で、
他の存在と関わるときに、共同もしくは共闘するために
言葉とは必要なものなのかなと思うのです。
個人として存在するということと、
社会の中で生きるということは、別のモノでありながら、
それがすみ分けているわけでもなく、
うまく混ざり合って1となっているから、
わたしたちは、わたしという1人称でもあるのかなと。
そして、
言葉というものに妥当さや共時性をもって共通認識とし、
その意味の定義がそろっている必要があるというのは、
ホモサピエンスが氷河期の中協力関係を取るという才能のおかげで生き延び、
ネアンデルタール人は滅びたというところに、
その重要さが隠れているのではないかという気がしています。