まれをみていて思うワークライフバランス
(占星術のメモです、そしてまれネタバレです)
今朝のまれを見ていて衝撃を受けて、メモ的にインスピリエーションを書いておきます。
ざあっと書いているので文章や論理推移が荒いし甘いです。
適当に読み流してくださいね。
(⇒まれあらすじはどうぞどっかでググってくださいね。)
ざっと言うと、パティシエになりたい夢を追いかけていた人が
フランス留学と結婚を両てんびんにかけて、結婚を選んで能登に帰る話。
結婚生活に幸せを感じつつも、家業の手伝いに明け暮れる。
あきらめきれずに店を開いたら、妊娠、双子を出産。
そのまま8年過ごし(片手間で店をやりながら日々に流され)、
ある日コンテストで修行時代の先輩に再会するという展開です。
「8年間何して過ごしてきたの?私はケーキに全人生注いできたのよ!」
というセリフを吐いた先輩は美と仕事を両立しています。天秤世代っぽい。
(まれ:育児ですということだね、育児というのは手を抜けない仕事だし)
そして
「まあ、いいんじゃないの?結婚して子供もいて店も開いて、幸せじゃない」
といわれ、まれは青ざめて自分の干からびたケーキを売りたくない!
と、展開に今日なりました。
この「まれ」、
脚本が面白くないとかなりネットで評判になってました。
わたしもあんまり順風満帆で
「なんだよ、そんなはずないだろう、だからテレビは!」
と思ってあまり見てませんでしたが・・・
久々昨日見て展開に驚いて
どうなるかなーと思ったら、ひっくり返してきた。
まれの脚本家の篠崎絵里子さんは結構評判がいいからおかしいなあと思ってましたが
すごいシャープなオチをぶっこんできましたね。
見ていて、ここに落としてきたか!!!!
と興奮して、これを書いているわけです。
まれは世間一般的に倫理的に正しいという道を選び
まれは昔から優等生、優等生と才能を両立してパティシエしてきた。
でも、結婚して家族増えやることが増える。
生活全体に優等生していると、パティシエにそそぐ時間がないです。
義理のお母さんが(手伝いもしない癖に)正論をぶちかまし
個人の情熱はわがままと話の中ではカテゴライズされているように見えます。
そして、人の1日は平等に、24時間です。
8年間ケーキに人生を捧げてきた人と、
家族と幸せに過ごしながら、
合間産業に趣味的にやってきた人は
そりゃ、クオリティは差がありますよね。
非の打ち所がない家庭人やっていれば、結果はねぇ…
ここで面白いなと思うのはまれには才能があり、
昔はとうこさんというその先輩を脅かしたほどだったということ。
才能だけでは解決できねーよ、
注いだ時間と熱意に実力差が出てしまうよそりゃ
という残酷な展開で、びっくりなわけです。
(どっかで拍手喝采が起こってそう、そんなあまくねーよ!ってね)
夢の世界で嘘ばっかりの現実逃避の場所のはずのテレビに
現実ぶっこんできた――(゚∀゚)――!!。
わたしはすでに、コンテストの名前の「ママパティシエ選手権」
とかいう言葉に引っかかってました。
「またママ・キレイゴトイズムかよ!」と心の中で突っ込んでいたのです。
いつものNHKのドラマだと、こういうなんか、チャンチャン的なオチなので、
どうしても「ケッ!」ってなるのですが(excuse me!)、
朝から現実を見せつけられるのが嫌な視聴者に
不快なものを見せない配慮なんだろうなともわかっています。
いつもならここで優勝して、両立して「素敵人生バンザイ\(^o^)/」ですが、
篠崎さんは、まれをどこにもかすらせず、予選敗退させ、
ストーリーの流れをひっくり返してきました。
ここからはかなり占星術の言葉が混ざりますが
とうこさんはたぶん「天秤冥王星」の生き方。
そして、まれは「蠍冥王星」の生き方。
そして徹は「乙女冥王星」の生き方
(俺はどこまでやれるかを試したいとコツコツやれのスクエアぽい)
なんじゃないかと(実際は大泉洋はギリギリ天秤冥王星世代ですけど)
どんなに才能あろうとも、そんなに仕事甘くねーよという
篠崎さん(たぶん乙女冥王星)のワークライフバランスへの
つっこみなんじゃなかろうかと、見ていてドキーっとしました。
わたしは、射手冥王星時代の2000年になりたての頃に、
キャリアをあきらめた敗北感とともに出産と結婚。ほぼ逃避ですね。
人生を立て直したくてあがいたのがわたしのサターンリターン。
そのころに流行っていた耳触りのいい言葉が、
ワークライフバランスです。今は全然聞かないですね。
冥王星が山羊サイン域に入った途端に掻き消えた気がします。
今は山羊座の冥王星の時代で、
「時間の過ごし方の質を問い、積み上げてきたものを問う。
その結果のあなたの実力のクオリティへの問い」
が天秤冥王星の世代に降り注ぐ。
スクエア的殴り込みなんだろうなあと思います
最初言葉が出たての頃はきらきらネームのような
まだふわっふわっで、スカスカな実のないワークライフバランス、
じゃあ、やってみろよと世間に言われると、
じつはすごいハードコアなんだろうと思います、これ。
よく言われていたことは子育てもキャリアってこと。
まあそうなんですけど、
それは子育ての自分の人生がコントロール利かない苦行チックな部分であり、
辛酸なめまくる期間だからだと思います。それは個性の陰影を濃くするような。
普通に生きていたら絶対避けていたことと対面しなくてはならないのが育児。
それが人生に豊かさを与えるのだと想像します。
若い時の苦労は買ってでもしろという諺の通りですね。
(年取ると固定概念を壊すのに時間かかるから吸収が悪い、笑)
でも、それは自動的に得るものではなくて、どう頑張ったかで培うもの。
どう頑張ったかをどう生かすかというもの。
だから、ママ=普通の人よりアイディアがあふれるわけでもないわけです。
どう時間を過ごして経験を積み、実力を磨いてきたかということであり、
修行の場を提供されるきっかけが子育てということだと思います。
フィットネスに行っていて思うのが、
ただフィットネスに行けば痩せるってことではなくて、
きちんと伸ばしてポーズしたり負荷をかけたり意識して
効果が出るのであるのだと思うのですよね。だから結果の個人差激しい。
行けば痩せるというわけでもなく、その時間どれだけ効果的にやったかであって。
子育てはそのフィットネスみたいなものだと思うのですよね。
手を抜こうと思えば抜けるし、どうその場を活用するかによる。
どんな結果をどの期間中にどうやって出すつもりかという意図にもよる。
まれのママさんパティシエコンテストの話に戻りますが
パティシエの仕事のクオリティにママというキャリアは
要らないだろうなと思います。
人間としての経験はママであってもなくても
その人がその環境でどう生きるかってことだから、
母・妻になることは何の特色もない。
好みによる生き方の選択でしかないと思うのです。
そこに正解や正当性はまったくないんじゃないかな。
それが山羊のどう過ごしてきたかという時間の使い方
経験の積み上げ方であり、つまれたものしか材料として
才能は使えないというもの。才能の燃料は経験だということ。
経験はママにならなくても得られるものです。
そして、ママになったからと言って経験が奪われるもんでもない。
ママというのは人の役割の一部で、全体ではないと思うのですよね。
だいたいママって子ども以外に言われるその状況がもう蔑称に近いと
前々から思っています。、これが世間の本音だろうなと。
なーめーすーぎーってね。
ちなみに天秤冥王星世代のテーマは
(これが全部じゃないけど私の感性的に
わたしが天秤冥王星世代なのでどうしても。
ちなみに1972年くらいから1985年くらいまでが天秤冥王星世代)
女(妻・母・恋人の動物的側面)として、
男なら(夫・父・恋人)として
と
人(人間の個性・社会性を持った存在、倫理観的側面)として
両立して生きるというライフバランスと思います。
よく、軽視されがちなのが男性のワークライフバランス。
家庭に男性を戻すことで、
女性は外にその分出ることになります。
分担ってことなんだと思いますね。
女性は自分の社会性を増やし男性の社会性を担い、
男性は家族や自分の個性に目を向ける時間を増やしたい願望を満たし、
社会性を女性に託す傾向と言ったらいいのかな。
担い合いシェアして共に在るバランスが合わないなら、
夫婦問題としてベターハーフではないだろうし、
お互いに要らないって離婚に至るケースも増えるだろうと思われ。
だらから救世主みたいなサウンドだったワークライフバランス、
甘いようで自分の権利だけが広がるような、
でも本当は義務が重くなる自由なんだろうなあと、
グラビティを感じる今はこの足枷みたいで目をそむけたくなる言葉、
実際はハードコアすぎたのか、あまり聞かなくなりましたネ。
ワークシェアとかも聞かないな、笑
最近聞くのは、既存のシステムはダメだから新しいシステムを作ろうという
流れで、そのためのソーシャルファンド、クラウドファンディング。
お上からお金をどーんと貰うといいなりで窮屈だから、
みんなからちょっとずつもらおうという元気玉みたいなやつですね。
乙女冥王星世代が血だらけで(射手座冥王星時代に)
過ごしてどうやって山羊冥王星トラインの時代に
腑に落としていっているんだろう。その辺が気になりだします。
その乙女冥王星世代の落とし方からすると、
てんびんのゆるふわファッション起業は、
「はあ?バランス?鼻で笑っちゃうわよ?ままごとでしょう?」だろうね。
会社というシステムに入った合理的な経済活動ですら、
(会社のシステムが個人差のばらつきを吸収することができるので)
女性が働くというのは、育休を勝ち取ったり周りの理解がないまま力技で、
死にもの狂いで両立してきたのだろうと想像する。
勝ち取られた権利の上で、じゃあその分返しなさいよ?と問われている
天秤冥王星世代なんだろう。
やめずにいても社畜感に違和感を感じたり、
会社と家族の往復で自分らしく生きてないに葛藤を持つだろうし、
やめたら、社会から切り離されて自分は何もしてない感にさいなまれるし、
落ち着いたら戻ろうと思っても一度外れてしまったら
日本の社会システムはトラックを外れた人への公道がないので、
けもの道を自分で切り開いて、戻るしかない。
そういう働き方の多様性を死にもの狂いで作っているのだろうと
想像しますね。新しくシステムを作ったり。
やっとまれの話に戻りますが、サソリ冥王星は
才能がすべて!と思っているところあると思いますが、
そこをあざわらうかのように才能のあるまれは転げ落ちていく。
干からびたケーキになっていく。
才能にたどり着いたら、変身するみたいに
わたしにメタモルフォーゼ人生!なわけじゃない。
才能(好きというモチベーション)を軸足に
スパイラルアップというように緩やかな、地道な努力が必要なんです。
努力に無駄はないし、好きだけでは食べていけない。
(それが徹という父から得た教訓だったと思うのですけど忘れてますね、まれ)
才能って大事ですけど、
才能があって、好きを掘り当てたら、
鍵を開けるように安全圏に入れるわけじゃないよ
というのが現実ですよねえとまれを見ていて思います。
大事なものを全部大事にするって、体力要りますよねえと
天秤冥王星はサソリ冥王星世代に思うのでしょうね。
まれは親戚や知人があんなに手伝ってくれて理解してくれているんだから、
わたしからすると何やってんの?フランス行っちゃいなよ!と思いますけどね~あはは~