物質的な金星と精神的な金星、そして木星へ
このところの、1970年代の人たちが、
ちょっとずつ、木星期に差し掛かっています。
木星期は45歳から切り替わり、46歳から55歳くらいまで。
わたしは年が近いのでその年代の人のことをじっと観察。
このところ考えているのです、その動向を。
見守るように、自分の未来を見るように。
そして、そこに向かう同胞も見ています。だいたい35歳くらいの人まで。
木星期っというのは、基本金星期のサポート組な位置だと思います。
つまり、それは金星期へのさよならのタイミングなんじゃないかと。
金星期、青年だった私の夢とか希望に区切りをつけるというか。
もし、それに抵抗や違和感、悲しみを覚えるなら、
金星期に後悔を持っているのではないでしょうか。
今のうちに、やれるだけやっておいた方がいいような気がします。
生産的な方法で、今につながる、燃やし方がいいと思いますね。
それが、今手にしていない場合、海の藻屑と消えそうなそんな感覚を
直前に感じるんじゃないでしょうかとちょっと思っています。
諦めて、あるもので生きていくというのが木星期だと思うので。
そして、人からもらうのではなくて、今あるものを他人に渡していく年代。
自分の才能やポジションに気が付き、確固たるものにしていく土星期。
そこで、金星期の宿題がその直前に吹き出す。
35歳~45歳何ではないかと。
太陽25歳から始まって、29歳サターンリターン、
シャドウが32歳で中年の危機。
n冥王星とt冥王星、n海王星とt海王星のスクエア、
この間リターンしたと思っていた土星がもうスクエアになり、
n天王星とt天王星のオポと、かなりスマッシュしていきます。
そんなこんなの、玉磨かれ太陽期、火星期。
こういうの見てると、本当ぜいぜいします。
占星術の年齢の流れをイメージした絵。
なんとなくこんな感じ。
この、なんかめちゃくちゃで暴れているピンクっぽいところが
金星期。赤い感じが太陽から火星。紫が中年の危機。
三角に広がるのが木星期
(土星は割愛、木星のもやもやを材料に形にする感じ?)
ピンクのあたりの
金星の混乱ぶりってわかりますかね、これわたしのイメージですけど。
緑の線は外からの刺激。他人の視線。
この幅を考えた時に、その2重性を思い出します、金星の。
金星って、水星と同じで二つのサインの支配星。
牡牛サインと天秤サインです。
そこでどちらかの側面を両方習得していくことが重要な気がしていました。
例えば、
好き=心地よいとなると、
その心地よさというのは・・・
・安心・安定に生きるのか。
・普遍的美しい生き方なのか。
という差が生まれるんだろうなあと思います。
どういうスパイスを太陽にふりかけるのだろう
というのが大事でだから、金星は太陽から45度以上離れないのではないか。
牡牛サインは月でエクザルテーションです。
天秤サインは土星でエクザルテーションです。
その辺の違いが金星の使い方に出るのではないかと思いました。
金星期の時
人としての肉体的旬を優先したり、
自分の日々の安全安心を優先したりする牡牛・月っぽいmatterと、
わたしという人間が(精神的に)美しく生きるには、
何が社会に普遍性として転がっているのか、平均性はどうなの?
平均がたたき出す、統計的な普遍性の美を見る。天秤土星matterと
どちらを金星期に選んだかという偏りは、
若さの限界に突き当たるころにバランスを崩し始め
火星期あたりにぶわーーっとあとから吹き出す気がします。
・自分の好きや社会的私を優先して生きるということをすると、
将来やら一人の寂しさから不安(安心安全じゃない状態)が
出るような気がします。
⇒貯金や不動産の購入、投資、婚活(里親)などが不安を和らげ総。
・安心安全を優先しておくと、
わたしの美しき生き方への未練が噴き出す。
こんな無難な生き方で、わたしこれからずっと生きていくのか?
という不満、空っぽ感、魂が満たされない感が出るような。
解決策⇒若い頃にできなかったことをリバイバルするといい
趣味的なこと、自分がやりたかった挑戦。おしゃれ。
人との関わり(できれば不倫じゃないこと)
どちらにせよ、
金星というものは、牡牛と天秤の二つをセットとして
存在していて、誰かにそれを投影している時代は
天秤冥王星の時代に終わって、
1970年移行、めんどくさいどっちも必要な時期が
始まったのかなあと思います。