千駄木の『旧安田邸庭園』
2016年04月3日|Impression, やまねこクロニクル|
★次の鑑定予定は4月4日ウラナイトナカイです。
11:00~21:00 通常鑑定です。
※14時~15時、18時~21時はご予約いただいています。
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shopでアクセサリーのsaleをしています。よかったらどうぞ!
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この間、イベントで
「ひとのこころとからだ 第四回:「芸術と医療と変性意識」」に
行ってみました。変性意識は興味対象なので。
お話してくださる方が、医者というのも興味深いところ。
たまたまツィッターで見かけて参加してきました。
最寄り駅は千駄木、団子坂そばでした。
ここを三菱銀行のある方へ上がります。
坂ってたしかブラタモリで盛り上がっていたなと
本を思い出す。
これー。
歩いていると、一軒だけ物々しい家。
門かっこいい。
ああ、あれだろうなあと思って入ってみると
すでにその筋っぽい人がたくさんいました。
入ると、畳が傷むから裸足はダメ、荷物は少なめにして持っていく、
という感じでさすが東京都指定名勝、管理は日本ナショナルトラストです。
わたしはこういうところの建具と、電気(ランプ?)が好きです。
日本の木造建築はわたし大正時代くらいのものが好きです。
なんというか、1900年代初期のモノがいいというか。
洋館とかも大好きですね。なのでイベントで立ち寄った場所でしたが
家の美しさに感激しました。
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イベントの感想がおまけ的ですが、
考えたら無意識と変性意識について興味を持ったのが2010年、
5年くらい勉強しているわけです。
なので、まあ目新しい感じではなかったですが、
流れがスーッとつながるのと、哲学と心理学の知識に
医学が入ったのが面白かったです。
特に、
『クリエイティビティはどの人も持っている人の衝動』
というようなことを
講師の方がおっしゃっているのには共感しました。
東洋の思想と西洋の思想の違いというのも、
このところの課題で、
シュタイナーでも人は山の上り方が西洋と東洋では違う
というようなことを言っていますね。
(※山の上り方とは、山のてっぺんに人としての完成されたステージがあるとした
修行型の縦方向への動きの比喩ですね)
西洋はたいてい一神教なので「人は神に似せられて作られた特別な存在」
という思想が根強く、人と自然を分け、理性と言葉を重んじます。
体についている欲や物質的な欲を蔑視し、軽んじる。
よりたくさん知ることにより、縦方向へ伸び上がり、神に近づく感じ。
対して、
東洋は仏教やアミニズムが多いです。
簡単にいうと『草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)』
草も木も土地も仏の一部で、私たち世界は支え合い流れの一部なんだという
考え方ですよね。人間特別ではない。人間も、この世界の一部。
自然を敬い、リズムを感じ、流れに乗ることにより、自分をなくす。
自分をなくすことで悟りに近づく、合流する感じ?
(得るのではない、自分をなくさないと悟れないということは得る自分がいない)
両方とも似ているのは、まあ、型を知ることにより型を破ることができる。
ってところでしょうかね。
あ、キリスト教は違うけど、
イスラム教やユダヤ教は戒律を守り預言者となる条件に近づく縦方向の動き
仏教も縦方向と横方向とあり、基本的に日常のことをきちんとできる人が(型)
その次に行けるという感じですね。
肉体的な健康を軽視するような傾向が西洋にはあって、
東洋は精神の安定は肉体から来るみたいな考え方だということを
おっしゃっていたのがそうだよなあと思ったポイント。
チェーホフが
「人は風邪を引いただけで世界観が変わる」
というのはまさにで、
「健全な魂は健全な肉体に宿る」って言葉ありますし
毎日規則正しい生活をしていくことで無駄をなくし、
その分、思索にふけるということなんだろうなと思っています。
古代ギリシャのアリストテレスは、
スコラ(ヒマ)がない人は勉強できないとしています。
現代人は奴隷制度や貴族制度というものがなく、
ましてや男尊女卑も終わり、
それをなくし、みな平等になったアクエリアスの時代で、
人は自分の中に、奴隷が担っていた生産性と、
貴族が担っていた魂の鍛錬が共存させるステージにいると思っていて、
生きるための糧を自分で担いながら(月)、
魂のための活動をする(太陽)という、
快適な生き方を模索する統合的な生き方が大事だろうなと思いました。
相手を敬いながら共同活動していくみずがめ座のような
力の使い方を、一人一人が目指していくの大事ですよね。