コリン・ウィルソンのオカルト
わりとコリン・ウィルソンの著作が好きで
このところずっと、「オカルト」という本を読んでいます。
このオカルトの本、
なかなかの分厚い本なので、まだ読み終わっていないのですが
今はブラバツキー夫人がどうやって、神智学にたどり着いたか?という話を読んでます。
ロマン主義と19世紀ですね。この本は人物伝的で、オカルトにかかわった人々の歴史と逸話が主です、基本。
コリン・ウィルソンさん自身は心理学哲学に傾倒していて、オカルトは懐疑的。
神と言われるような人間より上位とされている存在と、交信することをX現象(だったかな?)と呼んでいて
そこに関する研究が主ですね、どの著作も。どうやってそこにたどり着くかが彼の関心事のようです。
18世紀のロマン主義から19世紀のあたりの人間の思想の変化がわたしは好みで、
宗教から心理学に変わっていった過渡期だと思っています。
興味深いところは、
“「1971年にコリン・ウィルソンは出版社の依頼で『オカルト』を発表した。
「オカルト」ブームの発端の一人である」”とウィキペディアには書いてあり、
彼はオカルトについては「懐疑派」だったというところがわたしにとって読みやすい要因ですね。
信じちゃっている人の強行的論破はある意味、人を辟易とさせますし・・・
そういう意味では(半分しか読んでいませんが)なかなか(私好みの)名作だなと思います。
特に、興味深いのが
『ウィリアム・ジェームズの超常現象に対する考察
「それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。
超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」
に対し、コリン・ウィルソンは、これを「ウィリアム・ジェームズの法則」と名づけた。』
わたしもこれは、常々思っていることだったので、プラグマティズムを読んだ時に深くうなづいた一説。
脳とは私たちが思っている以上に現実をゆがめて知覚しています(これは脳科学でよく言われていますが)
記憶もしかり、視覚もしかり。そんなにしっかりとしたものではないのです。
強い思いが、現実の物質世界を曲げて見てしまう。信じたくないことは見えないのです。
記憶を封じ込めたり、見なかったことに記憶をしてしまうのですね。
無意識の海へ放り込んでいくわけです。
だから、在るし、無いのですよねえ。在るとか無いとかは議論するのに値しないこともあります。
オカルトについては特に。プラグマティズムを読んでいると本当にそこは手放しどころだなと思いますね。
わたしは、基本、不思議なことに対する抵抗感がないので信じていると言ったらそうでしょう。
でも、在ることを認めても、価値を見出しているか?というとそれについては否定的です。
壁がなっても、姿が見えても、机がひっくり返されても、わたしにとって何の役にも立たないからです。
曖昧なことだからこそ、自分の感覚しか信じない。自分のジャッジを自分の内側で行うし、
だから、相手のジャッジにも干渉しないのですね。好きにしたらいいと思います。
わざわざそれは間違っているとか指摘やる必要がないという結論に賛同している感じ。
アウトサイダーシリーズも面白いですけど、全部読み切れていず、
コリンウィルソンの殺人百科などもなかなか興味深いです。
コリンウィルソンの書いてあることはいちいち面白いなあと思って
チャートを見ていてら、あら、20度前後の活動宮のTスクエアがあります。
太陽は私のドラゴンテールに合。そりゃ興味出ますわなあという配置。
時間がわからないのでざっくりですけど、
基本的に問題があったら自分で積極的に解決していこうという姿勢が
活動宮っぽいなあと思います。あと、人々がわかる言葉まで噛み砕いて表現できるところが
双子水星だし、でも上滑りの切り貼りではなく、深く理解したうえでというのが
蠍の月を経た、ソースだなと思いました。
コリン・ウィルソン(Colin Wilson、 1931年6月26日 – 2013年12月5日[1])
月という天体は、理解をつかさどると個人的に思っています。
自分の中に取り込み、自分のテリトリーに住まわせることができる
というのが、理解の条件だからだと考えているからですね。
月は胃とか内臓とかを示したと思いますが、
胃や内臓の体での役割は、生きるための栄養を取り込む消化という行為。
自分ではない物質を分解し、取り込みいる栄養素だけを吸収し、
要らないものを排出する力。自分ではないものを自分にあてはめること。
それって知識にも言えると思うのですよねえ。
食欲的なところは意欲にあたると思うのでまたそこの必要な力だと思います。
コミュニケーションや表現というのは、
月(理解という過程で得た自分の中にある材料)+水星(作業する力)なんだと思うんですね。
月がストックして、水星が作業をする。「なぜそうするか」(目的)は太陽が決めるわけです。
材料は外野(外惑星)が引っ張って与えてくる。
世界に浸されている「世界内存在」なわたしたちは、土星という膜をフィルターに
何かしら世界から浸透されている、そんなイメージがわたしにはあります。
そして、土星のフィルターを通った情報をさらに
内膜の木星(受け入れ)と火星(排除)がジャッジし、
そこでよいと判断されたものを内惑星が料理していくようなそんなからくりに見えています。
このチャートのイメージは蠍の月の影響を受けた蟹3天体(太陽、冥王星、木星)がサブジェクトを決め
好奇心という双子の水星で決めたサブジェクトの情報をなんでもかんでも取り込み、
蠍のなんでも間でもまるごと飲み込むという消化力、
山羊土星の組み立てる力を筆頭とした、冥王星オポと、天王星スクエアで限界を刷新しながら、
関係ないものは全部輩出して、文章を組み立てる。
だから、彼が取り込むということを決めたカテゴリーに対し、
蠍の月は全面降伏して全部取り入れるている材料の豊富さ、そこが、蠍月のすごさだと思います。
(ただ、毒を食らうなら皿までなところもあるので体力と精神力勝負だと思いますが)
土星がこれだけ壊された配置であると、アウトサイダーというタイトルはすごく納得できるなあと思います。
これまでの禁忌に手を伸ばし、提言していく力となるんだろうなあと思いました。
彼の著作は彼の興味範囲という主観ですから、好き嫌いは分かれるタイプの本だなとは思っています。
私的には、いろいろ繋がって、感動で思わず目頭が熱くなるような衝撃的な一冊だで、
私一人ではなくて、いろんな要因がこれを理解する知識を構成しているなあと思いながら読んでいます。