戸隠、その3 (中社)
★みかみの次回の鑑定は・・・
・5月11日(月曜日)の中野トナカイ
12時~18時半です。
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旅行記その1、その2も前にあります。
ただの旅行記なので、暇つぶしにどうぞ。
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中社(ちゅうしゃ)までいって、お参りをしたのが9時くらいでしたが、
ちょっと列ができていました。
境内にも大量の雪~♪
そのあと、前回見られなかった宝物館に。
1つ前のブログに書いてあることはほとんどここでいろいろな情報を聞きました!
ここの目玉は平安時代の牙笏。なんと象牙です。
正倉院に在るものと同じで、上に向かって牙が成長した年輪みたいのが見えるもの。
とてーも古いものです。なんか一瞬木に見えますが象牙・・・。
端っこが削れているのですが漢方として削って飲んだんじゃないかといううわさも・・・
そういうのって本当に興味深い。天皇から頂いたものだったらただじゃすまないはずですし。
神様への供物に手を付けたというのも二重でやばいですから、
どんな理由だったのだろうと想像が膨らみますよねえー
戸隠の成り立ちなども全部ここのガイドさんが教えてくれました。
すごく勉強になりました。宝物館は1室しかなく、絵とか書ばかりで
入った時に
「え、これだけで300円かよ!」と思いました(コラ)
が、ガイドさんがマンツーマンで説明してくれたので、その価値はあり。
説明を聞くほどに戸隠をほとんど知らないことに気づきました。
その2で書きましたが、
ここの土地の神様は龍で、そこを地元の人は大事にしているとか。心の支えみたいな感じだそうです。
奥社の九頭竜神社は洞窟に繋がっていて、そこに竜神様が住んでいるようで。
宝物殿にある書面は何が書いてあるかわからないので、説明の人がいると、
また違った視点で見られていいですね。じゃないと、墨で字が書いてあるポイで終わりますから(笑)
そのありがたい風の紙の一つに竜神様のお供えの仕方が描いてありました。
毎日お供え物を4時くらいに持って行くようにきめられているのですが(寅の刻)
そこで見聞きしたものは他言無用で親兄弟にも行ってはいけないという決まりがあるそうです。
そういうのって多いですよねえ。神様が自分にしてくれたことを大事にするということでしょうか。
今なら洞窟から拝殿を通って、参拝のところまで糸が伸びていて
その意図に触れるそうです。あの拝殿の後ろに洞窟があるのも知りませんでした。
信仰って私にはあまりなじみのないものですが、興味があります。
全体的にどう信仰するかとかよりも、神様に畏敬の念があるか?が大事な気がします。
戸隠は神道でもないし(アマテラス系という意味で)仏教でもない。
仏教的でもあるし、神道的でもある。コンバインしている感じなアミニズム。
大事なのは御山に神様がいて、森羅万象をつかさどっている、
その神様に畏怖の念を抱いているということじゃないですかね。
でも、国には国の威厳の示し方や統率のとり方があるだろうし、建前などいろいろある。
国のために書いた古事記の神様をそれぞれの神社に派遣したくなる気持ちもわかります。
その流れにも負けず、こういうひそかに地主神様を大事にしている地域があると心打たれますね。
末社とかに落ちていると、悲しくなります、本当。
統率というのはシステムが機能し合理的にあるためには大事。
個人の個性をある程度抑え込む山羊座。
虐げられても心のよりどころとして、土地に流れる「気」みたいなものと
リンクして生きているのはうらやましい気がします。
わたしの中の蟹土星ならではの、感受性かもしれませんが。
都会に生まれ育つと、高い建物とかに住んだり働いたりして、
土地の気とも縁が薄いだろうし、自然の動物としての勘も鈍りそうですしね。
こういう勘というか感覚が発達してると、満員電車とかに乗れそうになさそうですし。
(なんかヤバい、超やばい!と戦々恐々となるでしょう、まともな神経なら、笑
わたしは乗り慣れているので心頭滅却しておりますが。)
山に登って森にいると、自分の存在の小ささをわかるし、
同時に、存在している自分というのにも気が付きますね。
地元に根付く概念を持つというのが居場所形成であり、
心のよりどころという意味での信仰は4ハウス的だなと思っていました。
都会で地元と呼べる愛着ある場所がなく仕事の場所が居場所というのは
南半球強調的であるなと考えていて、そういう人には
故郷に戻れないという概念は多分わからんのだろうなあと思います。
でも誰にでも4ハウスはあるし、特に子育てなどの段階になると、
確実に地元に流れる力みたいなものって必要な感じします、どんなに都会でも。
人が育っていく過程に4ハウスという情緒形成に不可欠な気もします。
そこが危うい人は再設定することもできると思いますし。
それにはやはり蟹と山羊の力、必須な気がしています。
脱線しますが、
4ハウスの居場所の再設定のチャンスって、介護とか子育てとかもタイミングだと思いますね。
(不安定が故にゆるみがあり、再構築できるし)
子育ての負担だけ考えてると想像つかないことでもありますが、
動けない人もしくは動くことや変化することが選択肢に上がらない人にとって、
抵抗できない変化としては、子育てって、大義名分でもあります。
なかなかこれ思いつけないと思いますね、わたしも最近気が付いたくらいですし。
個人でできることって本当に小さいのです。何かの勢いを借りるって大事だと思います。
この山羊冥王星の時代、そういう概念に立ち返るというのは大事なんじゃなかろうかと。
信仰はある意味コミュニティを形成しますしね、祭りとか。そこは山羊ー蟹ラインと思っています。
心のよりどころ的(室生犀星ぽい)故郷。まだ考えている途中なんですけど。
前回来た時にここが一番大切なところのような気がしましたが、
それは一番大事なのは隠れている扉の方
ではなくて、龍神さまだからなのだなあと。戸を隠し封印している力の源というか。
(飛ばしたのは天手力雄命、策を考えたのは天八意思兼命ですけど)
手水舎の水もご神水で飲めるとか、水が強調されている。
そして、そばがおいしいのは水がおいしいからですし。
なんかちょっと、扉の方ばかり気を取られていました。目が覚めた感じしました。
<余談>
今回今まで秘境的な雰囲気があるところにどっと人が押し寄せて思ったこと。
あまりなんでもウェルカムになると場が荒れますし、雰囲気が台無しになるので
ぜひ商売っ気を出して日和ったりしないでほしいところですが、
でも・・・実際神社は維持が大変ですから…その辺が難しいですよね。
結構あちこちつぶれています。
下賀茂神社ですら、敷地内の土地を貸して、建て替えの費用に充てる予定にあるとニュースで見ました。
神社って、建物を物質的に見た時に、経年劣化という事象があります。
宗教法人で税金は配慮されますが、重要文化財でない限り、国からお金は出ません。
(国教というわけではないからですね)重文だと、文科省から補助が出ます。
禰宜さんも神の御遣いですが、一応人間で生きて行かなくてはなりません。
お賽銭はたいていみなさん100円以下でしょう。これじゃあ収入としてはあんまりでしょうね。
考えられるのは、
一番ポピュラーなのが地元の人が氏子として支えるですが
(特に神社という観光ポイントに来る人たちを相手にしている商売の人)
観光資源として地方自治体が支える。
宝物館や拝殿公開などで入場料をとる。
お守り、その他の物を物販
ご朱印・ご祈祷など
という感じが収入のほとんどでしょうね。
ちなみに神社庁は労働組合みたいなものでお金はありません。
(対策の相談には乗ってくれるそうですが)
なのでバランスって本当に大変です。
生き残っていく、存続していくのは信仰心が薄れている今本当に難しいのです。
神様はお金いりませんが、祈りの場を整える、儀式をするは大事なはず。
そのためにはやはりお金要りようだと思うのです。
ひいきで大好きな神社があったら近所に住んで氏子さんになるのが一番ですが
ぜひ、ご祈祷を受ける、寄付をするなどで物質的に支える方法も
考えてみるのも大事だなあと思っています。