火のエレメントのメモ
この間古代ギリシャの哲学の授業で
エレメントの話になったあとで、
ニーチェが「個性とは魂には狭い」
みたいなことを言っていたというのを聴いて、
うおーこれはまさしく火のエレメントだなと思いました。
常々、火は個性的というのに疑問があったので。
火は個人より小さくなることを嫌がるので、
自分が想定しているものより狭いところに押し込まれるのが嫌い。
というので、制度が嫌いなんだなあと。
でも、個性という狭さにとどまっているわけではない。
個性を大事にしさらに、さらなる可能性を求める。
それが火なんじゃないかと、急に思ったのです。
この授業中に習っていたことと、
今読んでいるルドルフ・オットーの「聖なるもの」もトリガー。
私の中の、知識が化学変化を起こし、
ああそうかなんで気が付かなかったのだ!と思いました。
わたしは、火のエレメントは海王星1つなので
ほかのエレメントと比べ理解がいまいちだったのです。
教科書に載っている程度に判る程度。キーワード的だったというか。
それが大きく総体的に理解できた気がします。
今気になっているのは、信仰心ですね。
占星術において、信仰心は木星です。
何を善として価値観においているかという天体ですね。
射手座の支配星でもあります。射手サイン域にいた土星が
蠍サインに戻っている今、土星と木星とに思いをはせます。
特に信仰の象徴である『木星』に思いをはせるのです。
火の部分(射手)と水の部分(魚)を、両方。
この間、あああ!と思って理解したのがこんな感じ。
図解すると説明しやすいかなと思って書いてみました。
火の射手座的木星は享受することの木星。
魚はさらに自己犠牲的であること、誰かがというときに
個人的な願いや都合でなく、共同体としての都合で考える。
火は自分のためにしかエネルギーを使わないのにプラスして、
外からのエネルギーを取り込む感じ
(自分より低いものは要らず、高いもののみ)
高いものからエネルギーを吸い取る(もらう)サイン
(この場合人間だと無理なので、神とかの高位的が望ましいですが人だと
自家発電して余っている人じゃないと悲劇になりますね、有限ですから)
神はたくさん持っているので人に施してくれるという概念。
射手座はハンターですが、獲物も自然の恵みだよなと思いました。
水は自分のエネルギーを人にあげたり、人からもらったりする。
人のエネルギーの交換。その条件は感情。同じ共同体。
満ちたりひいたりする海。神に捧げものをする概念。
よって、お金というエネルギーをお互いに出し合い、
所属先の大きな力を使うというのはサソリに水(8ハウス)からの
流れなんだろうなあと思います。スイミー的な発想。
木星の人はお金を払った以上の見返りを求めるでしょうね、
サメを追い払う小さな魚的に。
こんな感じかもなあと、なんとなく思ったのです。
火の私の理解というと、
何か自分より高いものとの一体化に熱狂するという
伸び上がり指向なんじゃないかと思っています。
祭りな感じですね。
シャーマニックなダンス、日本だと盆踊りとか
集団で祭りを中心に、お面を付けたり、同じようなコスチュームを身に着けて
踊るということしますよね。
小さい蝋燭の火というのが個人の火だとすると、
キャンプファイアーなどが大きな火。祭壇の火でもあります。
(やりすぎると、山火事になりますが、これは盛り上がりすぎてしまう感じ)
宗教的な儀式(祭りですね)熱狂の渦に巻き込まれて力を感じ、
階級や身分などの差や境界線、厚かましい作法、堅苦しいルールなどは、
消し飛んでしまう無礼講な瞬間。個別差というなくなるエネルギー。
全体的な力の動き、流れに身を任せる一体感。
個という狭い囲いを取っ払い、広がれる喜び、万能感。
高次の存在と一体になり、身近に感じたりできること。
ニーチェも言っていますが、
「個性尊重主義」は自己を限定して圧迫し、
自由からほど遠いとしていますが
それが、なんというか、木星の射手座的という感じなのです。
わたしにとって。
おとめ座で、個人という狭さ、限界を知ります。
なので、個人という個性はしし座で完成しています。
でも、それだけでは足りないので、他人の存在を必要として
相手と対峙し、比べるという天秤サインがあると思うのです。
そして、所属ということでさそり座に移っていく。
面白いなと思うのは、
個人の領域といわれている1-6ハウスには、
土と火が二つあり(牡羊・獅子、牡牛・乙女)
水と風は1つずつ。(双子、蟹)
社会性が出てくる他人を認識する7-12ハウスに
コミュニケーションのエメレントの風と水が二つあり(天秤・水瓶、蠍・魚)
火と土は1つずつ。(射手、山羊)
12ハウス360度が個人の中にあるわけで、
内と外の対応により使い分けるという感じが
この配分にも出ているなあと思いました。
個という縛りを捨てると
(土的思想。肉体の維持・保持=牡牛金星、
社会があるからこその防衛、境界線山羊土星)
から、解放される(一瞬ね、終わった後はあまり考えない火)
個性とは土のエレメントのことなんじゃないかなと思います。
個別性というか。
コミュニケーション力で「交換する」エレメントの風と火
個というものに磨きをかけるような土と火
想像力は水
創造性は火
伝達能力は風
具現化は土。
個でありながらアップグレードするというのは
高次の存在とのつながりできっかけをもらうという感じなんだろうなと
射手座に対してちょっと思いました。
あと土星を考えるときに思い出すのは
かの全能の神ゼウスでも従わなくてはならない
ルールがある(モイライの紡ぐ糸の運命はどんな神も受け入れなくてはいけない)
木星=ジュピター、ユピテル(ローマの最高神)⇒ギリシャのゼウスと習合。
土星=サクルトゥス、もしくは宇宙のルールなのかもなあ
(団体ごとにルールがある。階層ごとにともいう。
たとえば、市区町村、県、国、各星というように階層は広がる)
ということも今考え中。
制度、組織、システムがあるから、自由という対比語が出てくる。
自由というのは何から?という前提が必須なんだなとも思いました。
イソップ物語やギリシャ神話、昔話、諺はみな元型(アーキタイプ)なんじゃないかと。教訓じみたことを口伝で伝えていた昔の知恵的だよなと思いました。私たちの中に犯しやすい間違いや失敗などがあって、それを繰り返さないように先人の知恵を伝える。そうやってミルフィーユになっている人の知恵。
「神のような存在」は、畏敬の念として人々の言動を戒めるのに便利だから引用されやすいのかも。お母さんが子どもに「いい子にしてないとお化けが来るよ」みたいな心理。自分のオーソリティだと他人は聞かないのでハイヤーパワーを持ってくるみたいな?「神」はそういうところに引っ張られてきやすい。
そうやって、ファミリーにアーキタイプが出来上がっていくのだなあとちょっとはっとしました。もちろん祖先たちは自分たちの狭い知識の中で必死に自分の子孫を守ろうと知恵を絞った結果であろうとは思いますけど。でっちあげというのではなくて、その含蓄に注目すべきだし、哲学だなと思います。
宗教というのは広い集団で倫理観や習慣、価値観をそろえていく上での神話みたいなところあるなあと思いました。my way or high way的であるので、守るものと改善するものが衝突しながら話し合い、言葉というソードを使って戦う必要があるのだな、いて座と勝手に今思いました。